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白银十字骑士
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[资源分享]芥川龍之介の作品集(日文版连载)

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上面是三联书店的中文版封面,下面是日文版,如果是乱码,就点右键把编码设置为日文

                                 羅 生 門
                                                               芥川龍之介:作

 或日の暮方の事である。一人の下人(ゲニン)が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
 広い門の下には、この男の外に誰もいない。唯、所々丹塗(ニヌリ)の剥げた、大きな
円柱(マルバシラ)に、蟋蟀(キリギリス)が一匹とまっている。羅生門が、朱雀(スザク)大路にあ
る以上は、この男の外にも、雨やみをする市女笠(イチメガサ)や揉烏帽子(モミエボシ)が、も
う二三人はありそうなものである。それが、この男の外には誰もいない。
 何故かと云うと、この二三年、京都には、地震とか辻風とか火事とか飢饉とか云う
災がつづいて起った。そこで洛中のさびれ方は一通りではない。旧記によると、仏像
や仏具を打砕いて、その丹(ニ)がついたり、金銀の箔がついたりした木を、路ばたに
つみ重ねて、薪の料(シロ)に売っていたと云う事である。落中がその始末であるから、
羅生門の修理などは、元より誰も捨てて顧る者がなかった。するとその荒れ果てたの
をよい事にして、狐狸(コリ)が棲む。盗人が棲む。とうとうしまいには、引取り手のな
い死人を、この門へ持って来て、棄てて行くと云う習慣さえ出来た。そこで、日の目
が見えなくなると、誰でも気味を悪るがって、この門の近所へは足ぶみをしない事に
なってしまったのである。
 その代わり又鴉が何処からか、たくさん集まって来た。昼間見ると、その鴉が何羽
となく輪を描いて、高い鴟尾(シビ)のまわりを啼きながら、飛びまわっている。殊に
門の上の空が、夕焼けであかくなる時には、それが胡麻をまいたようにはっきり見え
た。鴉は、勿論、門の上にある死人の肉を、啄(ツイバ)みに来るのである。--尤も今
日は、刻限が遅いせいか、一羽も見えない。唯、所々、崩れかかった、そうしてその
崩れ目に長い草のはえた石段の上に、鴉の糞が、点々と白くこびりついているのが見
える。下人は七段ある石段の一番上の段に、洗いざらした紺の襖(アオ)の尻を据えて、
右の頬に出来た、大きな面皰(ニキビ)を気にしながら、ぼんやり、雨のふるのを眺めて
いた。
 作者はさっき「下人が雨やみを待っていた」と書いた。しかし、下人は雨がやんで
も、格別どうしようと云う当てはない。ふだんなら、勿論、主人の家へ帰る可き筈で
ある。所がその主人からは、四五日前に暇を出された。前にも書いたように、当時京
都の町は一通りならず衰微していた。今この下人が、永年、使われていた主人から、
暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波に外ならない。だから「下人が雨やみ
を待っていた」と云うよりも、「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方
にくれていた」と云う方が、適当である。その上、今日の空模様も少からず、この平
安朝の下人の Sentimentalisme に影響した。申(サル)の刻下(コクサガ)りからふり出した
雨は、未(イマダ)に上るけしきがない。そこで、下人は、何を措(オ)いても差当り明日
の暮しをどうにかしようとして--云わばどうにもならない事を、どうにかしようと
して、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる雨の音を、聞
くともなく聞いていたのである。
 雨は、羅生門をつつんで、遠くから、ざあっと云う音をあつめて来る。夕闇は次第
に空を低くして、見上げると、門の屋根が、斜につき出した甍(イラカ)の先に、重たく
うす暗い雲を支えている。
 どうにもならない事を、どうにかする為には、手段を選んでいる遑(イトマ)はない。
選んでいれば、築土(ツイジ)の下か、道ばたの土の上で、飢死(ウエジニ)をするばかりで
ある。そうして、この門の上へ持って来て、犬のように棄てられてしまうばかりであ
る。選ばないとすれば--下人の考えは、何度も同じ道を低徊(テイカイ)した揚句(アゲク)
に、やっとこの局所へ逢着(ホウチャク)した。しかしこの「すれば」は、何時までたって
も、結局「すれば」であった。下人は、手段を選ばないという事を肯定しながらも、
この「すれば」のかたをつける為に、当然、その後に来る可き「盗人になるより他に
仕方がない」と云う事を、積極的に肯定する丈の、勇気が出ずにいたのである。
 下人は、大きな嚔(クサメ)をして、それから、大儀そうに立上った。夕冷えのする京
都は、もう火桶が欲しい程の寒さである。風は門の柱と柱との間を、夕闇と共に遠慮
なく、吹きぬける。丹塗の柱にとまっていた蟋蟀(キリギリス)も、もうどこかへ行ってし
まった。
 下人は、頸をちぢめながら、山吹の汗袗(カザミ)に重ねた、紺の襖(アオ)の肩を高くし
て門のまわりを見まわした。雨風の患(ウレイ)のない、人目にかかる惧(オソレ)のない、一
晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも、夜を明かそうと思ったからであ
る。すると、幸(サイワイ)門の上の楼へ上る、幅の広い、これも丹を塗った梯子が眼につ
いた。上なら、人がいたにしても、どうせ死人ばかりである。下人はそこで、腰にさ
げた聖柄(ヒジリヅカ)の太刀が鞘走らないように気をつけながら、藁草履をはいた足を、
その梯子の一番下の段へふみかけた。
 それから、何分かの後である。羅生門の楼の上へ出る、幅の広い梯子の中段に、一
人の男が、猫のように身をちぢめて、息を殺しながら、上の容子を窺っていた。楼の
上からさす火の光が、かすかに、その男の右の頬をぬらしている。短い鬚(ヒゲ)の中
に、赤く膿(ウミ)を持った面皰(ニキビ)のある頬である。下人は、始めから、この上にい
る者は、死人ばかりだと高を括っていた。それが、梯子を二三段上って見ると、上で
は誰か火をとぼして、しかもその火を其処此処(ソコココ)と動かしているらしい。これは、
その濁った、黄いろい光が、隅々に蜘蛛の巣をかけた天井裏に、揺れながら映ったの
で、すぐにそれと知れたのである。この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともして
いるからは、どうせ唯の者ではない。
 下人は、守宮(ヤモリ)のように足音をぬすんで、やっと急な梯子を、一番上の段まで
這うようにして上りつめた。そうして体を出来る丈(ダケ)、平にしながら、頸を出来
る丈、前へ出して、恐る恐る、楼の内を覗いて見た。
 見ると、楼の内には、噂に聞いた通り、幾つかの死骸が、無造作に棄ててあるが、
火の光の及ぶ範囲が、思ったより狭いので、数は幾つともわからない。唯、おぼろげ
ながら、知れるのは、その中に裸の死骸と、着物を着た死骸とがあるという事である。
勿論、中には女も男もまじっているらしい。そうして、その死骸は皆、それが、嘗
(カツテ)、生きていた人間だと云う事さえ疑われる程、土を捏(コ)ねて造った人形のよう
に、口を開(ア)いたり手を延ばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた。しか
も、肩とか胸とかの高くなっている部分に、ぼんやりした火の光をうけて、低くなっ
ている部分の影を一層暗くしながら、永久に唖(オシ)の如く黙っていた。
 下人は、それらの死骸の腐爛した臭気に思わず、鼻を掩(オオ)った。しかし、その手
は、次の瞬間には、もう鼻を掩う事を忘れていた。或る強い感情が、殆(ホトンド)、悉
(コトゴトク)この男の嗅覚を奪ってしまったからである。
 下人の眼は、その時、はじめて其(ソノ)死骸の中に蹲(ウズクマ)っている人間を見た。
檜皮色(ヒハダイロ)の着物を着た、背の低い、痩せた、白髪頭の、猿のような老婆である。
その老婆は、右の手に火をともした松の木片を持って、その死骸の一つの顔を覗きこ
むように眺めていた。髪の毛の長い所を見ると、多分女の死骸であろう。
 下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時は呼吸(イキ)をするのさえ
忘れていた。旧記の記者の語(カタリ)を借りれば、「頭身の毛も太る」ように感じたの
である。すると老婆は、松の木片を、床板の間に挿して、それから、今まで眺めてい
た死骸の首に両手をかけると、丁度、猿の親が猿の子の虱(シラミ)をとるように、その
長い髪の毛を一本づつ抜きはじめた。髪は手に従って抜けるらしい。
 その髪の毛が、一本づつ抜けるに従って、下人の心からは、恐怖が少しづつ消えて
行った。そうして、それと同時に、この老婆に対するはげしい憎悪が、少しづつ動い
て来た。--いや、この老婆に対すると云っては、語弊があるかも知れない。寧(ムシ
ロ)、あらゆる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのである。この時、誰か
がこの下人に、さっき門の下でこの男が考えていた、飢死(ウエジニ)をするか盗人にな
るかと云う問題を、改めて持出したら、恐らく下人は、何の未練もなく、飢死を選ん
だ事であろう。それほど、この男の悪を憎む心は、老婆の床に挿した松の木片のよう
に、勢よく燃え上り出していたのである。
 下人には、勿論、何故老婆が死人の髪の毛を抜くかわからなかった。従って、合理
的には、それを善悪の何れに片づけてよいか知らなかった。しかし下人にとっては、
この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くと云う事が、それ丈で既に許
す可らざる悪であった。勿論、下人は、さっき迄自分が、盗人になる気でいた事なぞ
は、とうに忘れていたのである。
 そこで、下人は、両足に力を入れて、いきなり、梯子から上へ飛び上った。そうし
て聖柄(ヒジリヅカ)の太刀に手をかけながら、大股に老婆の前へ歩みよった。老婆が驚
いたのは云う迄もない。
 老婆は、一目下人を見ると、まるで弩(イシユミ)にでも弾(ハジ)かれたように、飛び上っ
た。
「おのれ、どこへ行く。」
 下人は、老婆が死骸につまづきながら、慌てふためいて逃げようとする行手を塞い
で、こう罵った。老婆は、それでも下人をつきのけて行こうとする。下人は又、それ
を行かすまいとして、押しもどす。二人は死骸の中で、暫(シバラク)、無言のまま、つ
かみ合った。しかし勝敗は、はじめからわかっている。下人はとうとう、老婆の腕を
つかんで、無理にそこへ捩(ネ)<*>じ倒した。丁度、鶏の脚のような、骨と皮ばかりの
腕である。
                                           「捩じ倒した」の「ねじ」は「手偏」+「丑」
「何をしていた。云え。云わぬと、これだぞよ。」
 下人は、老婆をつき放すと、いきなり、太刀の鞘を払って、白い鋼(ハガネ)の色を、
その眼の前へつきつけた。けれども、老婆は黙っている。両手をわなわなふるわせて、
肩で息を切りながら、眼を、眼球が瞼(マブタ)<*>の外へ出そうになる程、見開いて、
唖のように執拗(シュウネ)く黙っている。これを見ると、下人は始めて明白に、この老婆
の生死が、全然、自分の意志に支配されていると云う事を意識した。そうして、この
意識は、今までけわしく燃えていた憎悪の心を、何時の間にか冷ましてしまった。後
に残ったのは、唯、或仕事をして、それが円満に成就した時の、安らかな得意と満足
とがあるばかりである。そこで、下人は、老婆を見下しながら、少し声を柔げてこう
云った。
                                                         「まぶた」は「目」+「匡」
「己は検非違使(ケビイシ)の庁の役人などではない。今し方この門の下を通りかかった
旅の者だ。だからお前に縄をかけて、どうしようと云うような事はない。唯、今時分
この門の上で、何をして居たのだか、それを己に話さえすればいいのだ。」
 すると、老婆は、見開いていた眼を、一層大きくして、じっとその下人の顔を見守っ
た。瞼<*>の赤くなった、肉食鳥のような、鋭い眼で見たのである。それから、皺で、
殆、鼻と一つになった脣(クチビル)を、何か物でも噛んでいるように動かした。細い喉
で、尖った喉仏の動いているのが見える。その時、その喉から、鴉の啼くような声が、
喘ぎ喘ぎ、下人の耳へ伝わって来た。
「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、鬘(カヅラ)にしょうと思ったのじゃ。」
 下人は、老婆の答が存外、平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、又前
の憎悪が、冷(ヒヤヤカ)な侮蔑と一しょに、心の中へはいって来た。すると、その気色が、
先方にも通じたのであろう。老婆は、片手に、まだ死骸の頭から奪った長い抜け毛を
持ったなり、蟇(ヒキ)のつぶやくような声で、口ごもりながら、こんな事を云った。
「成程な、死人(シビト)の髪の毛を抜くと云う事は、何ぼう悪い事かも知れぬ。じゃが、
ここにいる死人どもは、皆、その位な事を、されてもいい人間ばかりだぞよ。現在、
わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりづつに切って干したのを、干魚だ
と云うて、太刀帯(タテハキ)の陣へ売りに往んだわ。疫病(エヤミ)にかかって死ななんだら、
今でも売りに往んでいた事であろ。それもよ、この女の売る干魚は、味がよいと云う
て、太刀帯どもが、欠かさず菜料(サイリョウ)に買っていたそうな。わしは、この女のし
た事が悪いとは思うていぬ。せねば、飢死(ウエジニ)をするのじゃて、仕方がなくした
事であろ。されば、今又、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもや
はりせねば、飢死をするのじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方
がない事を、よく知っていたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであ
ろ。」
 老婆は、大体こんな意味の事を云った。
 下人は、太刀を鞘におさめて、その太刀の柄を左の手でおさえながら、冷然として、
この話を聞いていた。勿論、右の手では、赤く頬に膿(ウミ)を持った大きな面皰(ニキ
ビ)を気にしながら、聞いているのである。しかし、之(コレ)を聞いている中に、下人
の心には、或勇気が生れて来た。それは、さっき門の下で、この男には欠けていた勇
気である。そうして、又さっき、この門の上へ上って、この老婆を捕えた時の勇気と
は、全然、反対な方向に動こうとする勇気である。下人は、飢死をするか盗人になる
かに、迷わなかったばかりではない。その時のこの男の心もちから云えば、飢死など
と云う事は、殆(ホトンド)、考える事さえ出来ない程、意識の外に追い出されていた。
「きっと、そうか。」
 老婆の話が完ると、下人は嘲るような声で念を押した。そうして、一足前へ出ると、
不意に右の手を面皰から離して、老婆の襟上をつかみながら、噛みつくようにこう云っ
た。
「では、己が引剥(ヒハギ)をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、飢死をする体
なのだ。」
 下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする
老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、僅(ワズカ)に五歩を数えるばか
りである。下人は、剥ぎとった檜皮色の着物をわきにかかえて、またたく間に急な梯
子を夜の底へかけ下りた。
 暫、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起したのは、そ
れから間もなくの事である。老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、
まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って行った。そうして、そこか
ら、短い白髪を倒(サカサマ)にして、門の下を覗きこんだ。外には、唯、黒洞々(コクトウトウ)
たる夜があるばかりである。
 下人の行方は、誰も知らない。
                                                              (大正四年九月)
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沙发#
发布于:2010-10-23 16:41
地狱变(一)


                                                                                  ( ) はひらがなのルビ。
                                                      < > はカタカナのルビ。
                                                    読みの「'イ」は「ゐ」を示す。
                                                    読みの「'エ」は「ゑ」を示す。
                                 地 獄 變
                                                               芥川龍之介:作

        一

 堀川(ホリカハ)の大殿樣(オホトノサマ)のやうな方(カタ)は、これまでは固(モト)より、後の世に
は恐らく二人とはいらつしやいますまい。噂(ウハサ)に聞きますと、あの方の御(ゴ)誕
生になる前には、大威徳(ダイ'イトク)明王(ミヤウワウ)の御姿(オンスガタ)が御母君(オンハハギミ)の
夢枕(ユメマクラ)にお立ちになつたとか申す事でございますが、兎に角御生れつきから、
並々の人間とは御違ひになつてゐたやうでございます。でございますから、あの方の
爲(ナ)さいました事には、一つとして私(ワタクシ)どもの意表に出てゐないものはござい
ません。早い話が堀川の御邸(オヤシキ)の御(ゴ)規模を拜見致しましても、壯大と申しま
せうか、豪放と申しませうか、到底私どもの凡慮(ボンリヨ)には及ばない、思ひ切つた
所があるやうでございます。中にはまた、そこを色々とあげつらつて大殿樣の御(ゴ)
性行を始皇帝(シクワウテイ)や煬帝(ヤウダイ)に比べるものもございますが、それは諺(コトワザ)
に云ふ群盲の象(ザウ)を撫でるやうなものでもございませうか。あの方の御思召(オオボ
シメシ)は、決してそのやうに御(ゴ)自分ばかり、榮燿(エイエウ)榮華(エイグワ)をなさらうと
申すのではございません。それよりはもつと下々(シモジモ)の事まで御考へになる、云
はば天下と共に樂しむとでも申しさうな、大腹中(ダイフクチウ)の御(ゴ)器量がございま
した。
 それでございますから、二條(ニデウ)大宮(オホミヤ)の百鬼(ヒヤクキ)夜行(ヤギヤウ)に御遇(オア)
ひになつても、格別御障(オサハ)りがなかつたのでございませう。又陸奧(ミチノク)の鹽竈
(シホガマ)の景色(ケシキ)を寫したので名高いあの東三條(ヒガシサンデウ)の河原院(カハラノ'イン)に、
夜な夜な現はれると云ふ噂のあつた融(トホル)の左大臣の靈でさへ、大殿樣のお叱りを
受けては、姿を消したのに相違ございますまい。かやうな御(ゴ)威光でございますか
ら、その頃洛中(ラクチウ)の老若(ラウニヤク)男女(ナンニヨ)が、大殿樣と申しますと、まるで權
者(ゴンジヤ)の再來のやうに尊み合ひましたも、決して無理ではございません。何時(イ
ツ)ぞや、内(ウチ)の梅花の宴からの御歸りに御車の牛が放れて、折から通りかゝつた老
人に怪我(ケガ)をさせました時でさへ、その老人は手を合せて、大殿樣の牛にかけら
れた事を難有(アリガタ)がつたと申すことでございます。
 さやうな次第でございますから、大殿樣(オホトノサマ)御(ゴ)一代の間には、後々(ノチノチ)
までも語り草になりますやうな事が、隨分澤山にございました。大饗(オホミアヘ)の引出
物(ヒキデモノ)に白馬(アヲウマ)ばかりを三十頭、賜(タマハ)つたこともございますし、長良(ナガ
ラ)の橋の橋柱(ハシバシラ)に御寵愛(ゴチヨウアイ)の童(ワラベ)を立てた事もございますし、そ
れから又華陀(クワダ)の術を傳へた震旦(シンタン)の僧に、御腿(オンモモ)の瘡(モガサ)を御切ら
せになつた事もございますし、--一々數ヘ立てて居りましては、とても際限がござ
いません。が、その數多い御逸事(ゴイツジ)の中でも、今では御家の重寶(チヨウハウ)にな
つて居ります地獄變(ヂゴクヘン)の屏風(ビヤウブ)の由來程、恐ろしい話はございますま
い。日頃は物に御騷ぎにならない大殿樣でさヘ、あの時ばかりは、流石(サスガ)に御驚
きになつたやうでございました。まして御側(オソバ)に仕へてゐた私(ワタクシ)どもが、魂
(タマシヒ)も消えるばかりに思つたのは、申し上げるまでもございません。中でもこの私
なぞは、大殿樣にも二十年來御奉公申して居りましたが、それでさへ、あのやうな凄
(スサマ)じい見物(ミモノ)に出遇つた事は、つひぞ又となかつた位でございます。
 しかし、その御話を致しますには、豫(アラカジ)め先づ、あの地獄變の屏風を描きま
した、良秀(ヨシヒデ)と申す畫師('エシ)の事を申し上げて置く必要がございませう。

        二

 良秀(ヨシヒデ)と申しましたら、或は唯今でも猶(ナホ)、あの男の事を覺えていらつし
やる方がございませう。その頃繪筆をとりましては、良秀の右に出るものは一人(ヒトリ)
もあるまいと申された位、高名(カウミヤウ)な繪師でございます。あの時の事がございま
した時には、彼是(カレコレ)もう五十の阪に、手がとゞいて居りましたらうか。見た所は
唯、背(セ)の低い、骨と皮ばかりに痩(ヤ)せた、意地の惡さうな老人でございました。
それが大殿樣(オホトノサマ)の御邸(オヤシキ)へ參ります時には、よく丁子染(チヤウジゾメ)の狩衣
(カリギヌ)に揉烏帽子(モミ'エボシ)をかけて居りましたが、人がらは至つて卑(イヤ)しい方(カ
タ)で、何故(ナゼ)か年よりらしくもなく、脣の目立つて赤いのが、その上に又氣味の
惡い、如何にも獸(ケモノ)めいた心もちを起させたものでございます。中にはあれは畫
筆('エフデ)を舐(ナ)めるので紅(ベニ)がつくのだと申した人も居りましたが、どう云ふ
ものでございませうか。尤もそれより口の惡い誰彼は、良秀(ヨシヒデ)の立居振舞が猿
(サル)のやうだとか申しまして、猿秀(サルヒデ)と云ふ渾名(アダナ)までつけた事がござい
ました。
 いや猿秀と申せば、かやうな御話もございます。その頃大殿樣の御邸(オヤシキ)には、
十五になる良秀(ヨシヒデ)の一人娘が、小女房(コニヨウバウ)に上つて居りましたが、これは
又生みの親には似もつかない、愛嬌(アイケウ)のある娘でございました。その上早く女親
に別れましたせゐか、思ひやりの深い、年よりもませた、悧巧な生れつきで、年の若
いのにも似ず、何かとよく氣がつくものでございますから、御臺樣(ミダイサマ)を始め外
(ホカ)の女房たちにも、可愛がられて居たやうでございます。
 すると何かの折に、丹波(タンバ)の國から人馴(ナ)れた猿を一匹、獻上したものがご
ざいまして、それに丁度惡戲(イタヅラ)盛(ザカ)りの若殿樣が、良秀と云ふ名を御つけに
なりました。唯でさへその猿の容子(ヨウス)が可笑(ヲカ)しい所へ、かやうな名がついた
のでございますから、御邸中誰一人笑はないものはございません。それも笑ふばかり
ならよろしうございますが、面白半分に皆のものが、やれ御庭の松に上つたの、やれ
曹子(ザウシ)の疊(タタミ)をよごしたのと、その度毎に、良秀々々と呼び立てては、兎に
角いぢめたがるのでございます。
 所が或日の事、前に申しました良秀(ヨシヒデ)の娘が、御文(オフミ)を結んだ寒紅梅(カンコ
ウバイ)の枝を持つて、長い御廊下(オラウカ)を通りかゝりますと、遠くの遣戸(ヤリド)の向
うから、例の小猿の良秀が、大方(オホカタ)足でも挫(クジ)いたのでございませう、何時
ものやうに柱へ驅け上(ノボ)る元氣もなく、跛(ビツコ)を引き引き、一散に逃げて參る
のでございます。しかもその後(アト)からは楚(スハエ)をふり上げた若殿樣が「柑子(カウジ)
盜人(ヌスビト)め、待て。待て。」と仰有(オツシヤ)りながら、追ひかけていらつしやるの
ではございませんか。良秀の娘はこれを見ますと、ちよいとの間ためらつたやうでご
ざいますが、丁度その時逃げて來た猿が、袴(ハカマ)の裾にすがりながら、哀れな聲を
出して啼(ナ)き立てました--と、急に可哀さうだと思ふ心が、抑へ切れなくなつた
のでございませう。片手に梅の枝をかざした儘、片手に紫匂(ムラサキニホヒ)の袿(ウチギ)の
袖を輕さうにはらりと開きますと、やさしくその猿を抱(ダ)き上げて、若殿樣の御前
(ゴゼン)に小腰をかゞめながら「恐れながら畜生でございます。どうか御(ゴ)勘辨遊
ばしまし。」と、涼しい聲で申上げました。
 が、若殿樣の方は、氣負(キオ)つて驅けてお出でになつた所でございますから、むづ
かしい御顏をなすつて、二三度御み足を御踏鳴(オフミナラ)しになりながら、
「何でかばふ。その猿は柑子盜人だぞ。」
「畜生でございますから、……」
 娘はもう一度繰返しましたが、やがて寂しさうにほゝ笑みますと、
「それに良秀と申しますと、父が御折檻(ゴセツカン)を受けますやうで、どうも唯見ては
居(ヲ)られませぬ。」と、思ひ切つたやうに申すのでございます。これには流石(サスガ)
の若殿樣も、我(ガ)を御折りになつたのでございませう。
「さうか。父親の命乞なら、枉(マ)げて赦(ユル)してとらすとしよう。」
 不承(フシヨウ)無承(ブシヨウ)にかう仰有(オツシヤ)ると、楚(スハエ)をそこへ御捨てになつて、
元いらしつた遣戸(ヤリド)の方へ、その儘(ママ)御歸りになつてしまひました。

        三

 良秀(ヨシヒデ)の娘とこの小猿との仲がよくなつたのは、それからの事でございます。
娘は御姫樣(オヒメサマ)から頂載した黄金(コガネ)の鈴を、美しい眞紅(シンク)の紐(ヒモ)に下(サ)
げて、それを猿の頭へ懸けてやりますし、猿は又どんな事がございましても、滅多(メ
ツタ)に娘の身のまはりを難れません。或時娘の風邪(カゼ)の心地で、床に就きました時
なども、小猿はちやんとその枕もとに坐りこんで、氣のせゐか心細さうな顏をしなが
ら、頻(シキリ)に爪を噛んで居りました。
 かうなると又妙なもので、誰も今までのやうにこの小猿を、いぢめるものはござい
ません。いや、反(カヘ)つてだんだん可愛がり始めて、しまひには若殿樣でさへ、時々
柿(カキ)や栗(クリ)を投げて御やりになつたばかりか、侍の誰やらがこの猿を足蹴(アシゲ)
にした時なぞは、大層御(ゴ)立腹にもなつたさうでございます。その後(ゴ)大殿樣が
わざわざ良秀の娘に猿を抱いて御前(ゴゼン)へ出るやうと御沙汰になつたのも、この
若殿樣の御腹立になつた話を、御聞きになつてからだとか申しました。その序(ツイデ)
に自然と娘の猿を可愛がる所由(イハレ)も御耳にはひつたのでございませう。
「孝行な奴ぢや。褒(ホ)めてとらすぞ。」
 かやうな御意(ギヨイ)で、娘はその時、紅(クレナ'イ)の袙(アコメ)を御褒美(ゴハウビ)に項き
ました。所がこの袙を又見やう見眞似に、猿が恭(ウヤウヤ)しく押頂きましたので、大殿
樣の御(ゴ)機嫌は、一入(ヒトシホ)よろしかつたさうでございます。でございますから、
大殿樣が良秀の娘を御贔屓(ゴヒイキ)になつたのは、全くこの猿を可愛がつた、孝行恩
愛の情を御(ゴ)賞美なすつたので、決して世間で兎や角申しますやうに、色を御好み
になつた譯ではございません。尤もかやうな噂の立ちました起りも、無埋のない所が
ございますが、それは又後(ノチ)になつて、ゆつくり御話し致しませう。こゝでは唯大
殿樣が、如何に美しいにした所で、繪師風情(フゼイ)の娘などに、想(オモ)ひを御懸(オカ)
けになる方ではないと云ふ事を、申し上げて置けば、よろしうございます。
 さて良秀(ヨシヒデ)の娘は、面目を施(ホドコ)して御前(ゴゼン)を下(サガ)りましたが、
元より悧巧な女でございますから、はしたない外の女房たちの妬(ネタミ)を受けるやう
な事もございません。反(カヘ)つてそれ以來、猿と一しよに何かといとしがられまして、
取分け御姫樣の御側からは御離れ申した事がないと云つてもよろしい位、物見車(モノミ
グルマ)の御供にもつひぞ缺けた事はございませんでした。
 が、娘の事は一先づ措(オ)きまして、これから又親の良秀(ヨシヒデ)の事を申上げませ
う。成程(ナルホド)猿の方は、かやうに間もなく、皆のものに可愛がられるやうになり
ましたが、肝腎(カンジン)の良秀はやはり誰にでも嫌はれて、不相變(アヒカハラズ)陰へまは
つては、猿秀呼(ヨバハ)りをされて居りました。しかもそれが又、お邸の中ばかりでは
ございません。現に横川(ヨカハ)の僧都樣(ソウヅサマ)も、良秀と申しますと、魔障(マシヤウ)
にでも御遇ひになつたやうに、顏の色を變へて、御憎み遊ばしました。(尤もこれは
良秀が僧都樣の御行状(ゴギヤウジヤウ)を戲畫(ザレ'エ)に描(カ)いたからだなどと申します
が、何分下(シモ)ざまの噂ではございますから、確に左樣とは申されますまい。)兎に
角、あの男の不評判は、どちらの方(カタ)に伺ひましても、さう云ふ調子ばかりでござ
います。もし惡く云はないものがあつたと致しますと、それは二三人の繪師仲間か、
或は又、あの男の繪を知つてゐるだけで、あの男の人間は知らないものばかりでござ
いませう。
 しかし實際良秀(ヨシヒデ)には、見た所が卑(イヤ)しかつたばかりでなく、もつと人に
嫌がられる惡い癖があつたのでございますから、それも全く自業(ジゴフ)自得(ジトク)
とでもなすより外に、致し方はございません。
snowdong
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发布于:2010-10-23 16:41
地狱变(二)


        四

 その癖と申しますのは、吝嗇(リンシヨク)で、慳貪(ケンドン)で、恥知らずで、怠けもので、
強慾(ガウヨク)で--いや、その中でも取分け甚しいのは、横柄(ワウヘイ)で、高慢で、何
時(イツ)も本朝第一の畫師('エシ)と申す事を、鼻の先へぶらさげてゐる事でございませ
う。それも畫道の上ばかりならまだしもでございますが、あの男の負け惜しみになり
ますと、世間の習慣(ナラハシ)とか慣例(シキタリ)とか申すやうなものまで、すベて莫迦(バカ)
に致さずには置かないのでございます。これは永年良秀(ヨシヒデ)の弟子(デシ)になつて
ゐた男の話でございますが、或日さる方(カタ)の御邸(オヤシキ)で名高い檜垣(ヒガキ)の巫女
(ミコ)に御靈(ゴリヤウ)が憑(ツ)いて、恐しい御託宣(ゴタクセン)があつた時も、あの男は空耳
(ソラミミ)を走らせながら、有合せた筆と墨とで、その巫女の物凄い顏を、丁寧に寫して
居つたとか申しました。大方御靈(ゴリヤウ)の御祟(オタタ)りも、あの男の眼から見ました
なら、子供欺し位にしか思はれないのでございませう。
 さやうな男でございますから、吉祥天(キツシヤウテン)を描(カ)く時は、卑しい傀儡(クグツ)
の顏を寫しましたり、不動(フドウ)明王(ミヤウワウ)を描く時は、無頼(ブライ)の放免(ハウメン)
の姿を像(カタド)りましたり、いろいろの勿體(モツタイ)ない眞似を致しましたが、それで
も當人を詰(ナジ)りますと「良秀の描いた神佛が、その良秀に冥罰(ミヤウバツ)を當てら
れるとは、異(イ)な事を聞くものぢや」と空嘯(ソラウソブ)いてゐるではございませんか。
これには流石(サスガ)の弟子たちも呆(アキ)れ返つて、中には未來の恐ろしさに、匆々暇
(ヒマ)をとつたものも、少くなかつたやうに見うけました。---先づ一口に申しまし
たなら、慢業(マンゴフ)重疊(チヨウデフ)とでも名づけませうか。兎に角當時天(アメ)の下で、
自分程の偉い人間はないと思つてゐた男でございます。
 從つて良秀(ヨシヒデ)がどの位畫道でも、高く止(トマ)つて居りましたかは、申し上げ
るまでもございますまい。尤もその繪でさへ、あの男のは筆使ひでも彩色でも、まる
で外の繪師とは違つて居りましたから、仲の惡い繪師仲間では、山師だなどと申す評
判も、大分(ダイブ)あつたやうでございます。その連中の申しますには、川成(カハナリ)
とか金岡(カナヲカ)とか、その外(ホカ)昔の名匠の筆になつた物と申しますと、やれ板戸の
梅の花が、月の夜毎に匂(ニホ)つたの、やれ屏風(ビヤウブ)の大宮人(オホミヤビト)が、笛を
吹く音(ネ)さへ聞えたのと、優美な噂が立つてゐるものでございますが、良秀の繪に
なりますと、何時でも必ず氣味の惡い、妙な評判だけしか傳はりません。譬(タト)へば
あの男が龍蓋寺(リユウガイジ)の門へ描きました、五趣(ゴシユ)生死(シヤウジ)の繪に致しま
しても、夜更(ヨフ)けて門の下を通りますと、天人の嘆息(タメイキ)をつく音や啜(スス)り泣
きをする聲が、聞えたと申す事でございます。いや、中には死人の腐つて行く臭氣を、
嗅(カ)いだと申すものさへございました。それから大殿樣の御云ひつけで描いた、女
房たちの似繪(ニセ'エ)なども、その繪に寫されただけの人間は、三年とたたない中に、
皆魂の拔けたやうな病氣になつて、死んだと申すではございませんか。惡く云ふもの
に申させますと、それが良秀の繪の邪道に落ちてゐる、何よりの證據ださうでござい
ます。
 が、何分前にも申し上げました通り、横紙(ヨコガミ)破りな男でございますから、そ
れが反(カヘ)つて良秀は大(オホ)自慢で、何時ぞや大殿樣が御冗談に、「その方は兎角(ト
カク)醜いものが好きと見える。」と仰有(オツシヤ)つた時も、あの年に似ず赤い脣でにや
りと氣味惡く笑ひながら、「さやうでござりまする。かいなでの繪師には總じて醜い
ものの美しさなどと申す事は、わからう筈がございませぬ。」と、横柄(ワウヘイ)に御答
へ申し上げました。如何に本朝第一の繪師にも致せ、よくも大殿樣の御前(ゴゼン)へ
出て、そのやうな高言が吐けたものでございます。先刻引合に出しました弟子が、内
内師匠に「智羅永壽(チラエイジユ)」と云ふ渾名(アダナ)をつけて、増長慢(ゾウチヤウマン)を譏
(ソシ)つて居りましたが、それも無理はございません。御承知でもございませうが、
「智羅永壽」と申しますのは、昔震旦(シンタン)から渡つて參りました天狗(テング)の名で
ございます。
 しかしこの良秀にさへ--この何とも云ひやうのない、横道者(ワウダウモノ)の良秀に
さへ、たつた一つ人間らしい、情愛のある所がどざいました。

        五

 と申すますのは、良秀(ヨシヒデ)が、あの一人娘の小女房(コニヨウバウ)をまるで氣違ひの
やうに可愛がつてゐた事でございます。先刻申し上げました通り、娘も至つて氣のや
さしい、親思ひの女でございましたが、あの男の子煩惱(コボンナウ)は、決してそれにも
劣りますまい。何しろ娘の着る物とか、髮飾(カミカザリ)とかの事と申しますと、どこの
御寺の勸進(クワンジン)にも喜捨(キシヤ)をした事のないあの男が、金錢には更に惜し氣も
なく、整へてやると云ふのでございますから、嘘のやうな氣が致すではございません
か。
 が、良秀(ヨシヒデ)の娘を可愛がるのは、唯可愛がるだけで、やがてよい婿(ムコ)をと
らうなどと申す事は、夢にも考へて居りません。それ所か、あの娘へ惡く云ひ寄るも
のでもございましたら、反つて辻冠者(ツジクワンジヤ)ばらでも躯<*1>り集めて、暗打(ヤミ
ウチ)位は喰はせ兼ねない量見でございます。でございますから、あの娘が大殿樣(オホトノ
サマ)の御聲がかりで小女房に上りました時も、老爺(オヤジ)の方は大不服で、當座の間
は御前(ゴゼン)へ出ても、苦(ニガ)り切つてばかり居りました。大殿樣が娘の美しいの
に御心を惹(ヒ)かされて、親の不承知なのもかまはずに、召し上げたなどと申す噂は、
大方かやうな容子(ヨウス)を見たものの當推量(アテズ'イリヤウ)から出たのでございませう。
                                                <*1>「身」偏+「區」:補助漢字6452
 尤も其噂は嘘でございまして、子煩惱の一心から、良秀が始終娘の下(サガ)るやう
に祈つて居りましたのは確でございます。或時大殿樣の御云ひつけで、稚兒(チゴ)文
珠(モンジユ)を描きました時も、御寵愛(ゴチヨウアイ)の童(ワラベ)の顏を寫しまして、見事な
出來でございましたから、大殿樣も至極御滿足で、「褒美にも望みの物を取らせるぞ。
遠慮なく望め。」と云ふ難有(アリガタ)い御語(オコトバ)が下りました。すると良秀は畏(カ
シコ)まつて、何を申すかと思ひますと、
「何卒(ナニトゾ)私(ワタクシ)の娘をば御下(サ)げ下さいますやうに。」と臆面もなく申し上
げました。外(ホカ)の御邸(オヤシキ)ならば兎も角も、堀川の大殿樣の御側に仕へてゐるの
を、如何に可愛いからと申しまして、かように無躾(ブシツケ)に御暇(イトマ)を願ひますも
のが、どこの國に居りませう。これには大腹中(ダイフクチウ)の大殿樣も聊(イササ)か御(ゴ)
機嫌を損じたと見えまして、暫くは唯默つて良秀の顏を眺めて御居でになりましたが、
やがて、
「それはならぬ。」と吐出すやうに仰有(オツシヤ)ると、急にその儘御立ちになつてしま
ひました。かやうな事が、前後四五遍もございましたらうか。今になつて考へて見ま
すと、大殿樣の良秀を御覽になる眼は、その都度(ツド)にだんだん冷(ヒヤ)やかになつ
ていらしつたやうでございます。すると又、それにつけても、娘の方は父親の身が案
じられるせゐででもございますか、曹司(ザウシ)へ下つてゐる時などは、よく袿(ウチギ)
の袖を噛んで、しくしく泣いて居りました。そこで大殿樣が良秀の娘に懸想(ケサウ)な
すつたなどと申す噂が、愈(イヨイヨ)擴がるやうになつたのでございませう。中には地獄
變(ヂゴクヘン)の屏風(ビヤウブ)の由來も、實は娘が大殿樣の御意に從はなかつたからだ
などと申すものも居りますが、元よりさやうな事がある筈はございません。
 私(ワタクシ)どもの眼から見ますと、大殿樣が良秀の娘を御下(オサ)げにならなかつたの
は、全く娘の身の上を哀れに思召したからで、あのやうに頑(カタクナ)な親の側へやるよ
りは御邸に置いて、何不自由なく暮させてやらうと云ふ難有(アリガタ)い御考へだつた
やうでございます。それは元より氣立ての優しいあの娘を、御贔屓(ゴヒイキ)になつた
のは間違ひございません。が、色を御好みになつたと申しますのは、恐らく牽強(ケンキ
ヤウ)附會(フクワイ)の説でございませう。いや、跡方(アトカタ)もない嘘と申した方が、宜し
い位でございます。
 それは兎(ト)も角(カク)もと致しまして、かやうに娘の事から良秀の御覺えが大分(ダ
イブ)惡くなつて來た時でございます。どう思召したか、大殿樣は突然良秀を御召にな
つて、地獄變(ヂゴクヘン)の屏風(ビヤウブ)を描(カ)くやうにと、御云ひつけなさいました。

        六

 地獄變(ヂゴクヘン)の屏風(ビヤウブ)と申しますと、私(ワタクシ)はもうあの恐ろしい畫面
の景色(ケシキ)が、ありありと眼の前へ浮んで來るやうな氣が致します。
 同じ地獄變と申しましても、良秀(ヨシヒデ)の描(カ)きましたのは、外の繪師のに比べ
ますと、第一圖取(ヅド)りから似て居りません。それは一帖(イチデフ)の屏風の片隅へ、
小さく十王(ジフワウ)を始め眷屬(ケンゾク)たちの姿を描いて、あとは一面に物凄い猛火が
劍山(ケンザン)刀樹(タウジユ)も爛(タダ)れるかと思ふ程渦を卷いて居りました。でござい
ますから、唐(カラ)めいた冥官(ミヤウクワン)たちの衣裳が、點々と黄や藍を綴つて居ります
外(ホカ)は、どこを見ても烈々とした火焔の色で、その中をまるで卍(マンジ)のやうに、
墨を飛ばした黒煙(クロケムリ)と金粉を煽(アフ)つた火の粉とが、舞ひ狂つて居るのでござ
います。
 こればかりでも、隨分人の目を驚かす筆勢でございますが、その上に又、業火(ゴフ
クワ)に燒かれて、轉々と苦しんで居ります罪人も、殆ど一人として通例の地獄繪にあ
るものはございません。何故かと申しますと、良秀はこの多くの罪人の中に、上(カミ)
は月卿(ゲツケイ)雲客(ウンカク)から下(シモ)は乞食(コジキ)非人(ヒニン)まで、あらゆる身分の人
間を寫して來たからでございます。束帶(ソクタイ)のいかめしい殿上人(テンジヤウビト)、五
つ衣(ギヌ)のなまめかしい青女房(アヲニヨウバウ)、珠數(ジユズ)をかけた念佛僧、高足駄(タ
カアシダ)を穿(ハ)いた侍學生(サムラヒガクシヤウ)、細長(ホソナガ)を着た女(メ)の童(ワラハ)、幣(ミテグ
ラ)をかざした陰陽師(オンミヤウジ)--一々數へ立てて居りましたら、とても際限はござ
いますまい。兎に角さう云ふいろいろの人間が、火と煙とが逆捲(サカマ)く中を、牛頭
(ゴヅ)馬頭(メヅ)の獄卒に虐(サイナ)まれて、大風に吹き散らされる落葉のやうに、紛々
と四方八方へ逃げ迷つてゐるのでございます。鋼叉(サスマタ)に髮をからまれて、蜘蛛(ク
モ)よりも手足を縮(チヂ)めてゐる女は、神巫(カンナギ)の類(タグヒ)ででもございませうか。
手矛(テホコ)に胸を刺し通されて、蝙蝠(カハホリ)のやうに逆(サカサマ)になつた男は、生受領
(ナマズリヤウ)か何かに相違ございますまい。その外或は鐵(クロガネ)の笞(シモト)に打たれる
もの、或は千曳(チビキ)の盤石(バンジヤク)に押されるもの、或は怪鳥(ケテウ)の嘴(クチバシ)
にかけられるもの、或は又毒龍の顎(アギト)に噛まれるもの、--呵責(カシヤク)も亦罪人
の數(カズ)に應じて、幾通りあるかわかりません。
 が、その中でも殊に一つ目立つて凄じく見えるのは、まるで獸(ケモノ)の牙(キバ)のや
うな刀樹の頂きを半ばかすめて(その刀樹の梢(コズ'エ)にも、多くの亡者が累々(ル'イル
'イ)と、五體を貫かれて居りましたが)中空(ナカゾラ)から落ちて來る一輛の牛車(ギツシヤ)
でございませう。地獄(ヂゴク)の風に吹き上げられた、その車の簾(スダレ)の中には、
女御(ニヨウゴ)、更衣(カウイ)にもまがふばかり、綺羅(キラ)びやかに裝つた女房が、丈(タケ)
の黒髮を炎(ホノホ)の中になびかせて、白い頸(ウナジ)を反(ソ)らせながら、悶え苦しんで
居りますが、その女房の姿と申し、又燃えしきつてゐる牛車と申し、何一つとしで炎
熱地獄の責苦を偲(シノ)ばせないものはございません。云はば廣い畫面の恐ろしさが、
この一人の人物に湊(アツマ)つてゐるとでも申しませうか。これを見るものの耳の底に
は、自然と物凄い叫喚(ケフクワン)の聲が傳はつて來るかと疑ふ程、入神(ニフシン)の出來映
(デキバ)えでございました。
 あゝ、これでございます、これを描(カ)く爲めに、あの恐ろしい出來事が起つたの
でございます。又さもなければ如何に良秀でも、どうしてかやうに生々(イキイキ)と奈落
(ナラク)の苦艱(クゲン)が畫('エガ)かれませう。あの男はこの屏風の繪を仕上げた代りに、
命さへも捨てるやうな、無慘(ムザン)な目に出遇ひました。云はばこの繪の地獄は、本
朝第一の繪師良秀が、自分で何時か墮(オ)ちて行く地獄だつたのでございます。……
 私はあの珍しい地獄變の屏風の事を申上げますのを急いだあまりに、或は御話の順
序を顛倒致したかも知れません。が、これから又引き續いて、大殿樣から地獄繪を描
けと申す仰せを受けた良秀(ヨシヒデ)の事に移りませう。
snowdong
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发布于:2010-10-23 16:42
地狱变(三)


        七

 良秀(ヨシヒデ)はそれから五六箇月の間、まるで御邸(オヤシキ)へも伺はないで、屏風(ビ
ヤウブ)の繪にばかりかゝつて居りました。あれ程の子煩惱(コボンナウ)がいざ繪を描(カ)く
と云ふ段になりますと、娘の顏を見る氣もなくなると申すのでございますから、不思
議なものではございませんか。先刻申し上げました弟子(デシ)の話では、何でもあの
男は仕事にとりかゝりますと、まるで狐(キツネ)でも憑(ツ)いたやうになるらしうござい
ます。いや實際當時の風評に、良秀が畫道で名を成したのは、福徳(フクトク)の大神(オホガ
ミ)に祈誓(キセイ)をかけたからで、その證據にはあの男が繪を描いてゐる所を、そつと
物陰から覗(ノゾ)いて見ると、必ず陰々として靈狐(レイコ)の姿が、一匹ならず前後左右
に、群(ムラガ)つてゐるのが見えるなどと申す者もございました。その位でございます
から、いざ畫筆('エフデ)を取るとなると、その繪を描き上げると云ふより外は、何も
彼も忘れてしまふのでサこざいませう。晝も夜も一間に閉ぢこもつたきりで、滅多(メ
ツタ)に日の目も見た事はございません。--殊に地獄變の屏風を描いた時には、かう
云ふ夢中になり方が、甚しかつたやうでございます。
 と申しますのは何もあの男が、晝も蔀(シトミ)を下(オロ)した部屋の中で、結燈臺(ユヒトウ
ダイ)の火の下に、祕密の繪の具を合せたり、或は弟子たちを、水干(ス'イカン)やら狩衣
(カリギヌ)やら、さまざまに着飾らせて、その姿を一人づつ丁寧に寫したり、--さう
云ふ事ではございません。その位の變つた事なら、別にあの地獄變の屏風を描かなく
とも、仕事にかゝつてゐる時とさへ申しますと、何時でもやり兼ねない男なのでござ
います。いや、現に龍蓋寺(リユウガイジ)の五趣(ゴシユ)生死(シヤウジ)の圖を描きました時
などは、當り前の人間なら、わざと眼を外(ソ)らせて行くあの往來の死骸の前へ、悠
悠と腰を下して、半ば腐れかかつた顏や手足を、髮の毛一すぢも違(カダ)へずに、寫
して參つた事でございました。では、その甚しい夢中になり方とは、一體どう云ふ事
を申すのか、流石(サスガ)に御わかりにならない方もいらつしやいませう。それには唯
今詳しい事は申し上げてゐる暇(ヒマ)もございませんが、主な話を御耳に入れますと、
大體先(マヅ)、かやうな次第なのでございます。
 良秀(ヨシヒデ)の弟子の一人が(これもやはり、前に申した男でございますが)或日
繪の具を溶(ト)いて居りますと、急に師匠が參りまして、
「己(オレ)は少し午睡(ヒルネ)をしようと思ふ。が、どうもこの頃は夢見が惡い。」とか
う申すのでございます。別にこれは珍しい事でも何でもございませんから、弟子は手
を休めずに、唯、
「さやうでございますか。」と一通りの挨拶(アイサツ)を致しました。所が良秀は何時(イ
ツ)になく寂しさうな顏をして、
「就いては、己が午睡(ヒルネ)をしてゐる間中、枕もとに坐つてゐて貰ひたいのだが。」
と、遠慮がましく頼むではございませんか。弟子は何時(イツ)になく、師匠が夢なぞを
氣にするのは、不思議だと思ひましたが、それも別に造作(ザウサ)のない事でございま
すから、
「よろしうございます。」と申しますと、師匠はまだ心配さうに、
「では直(スグ)に奧へ來てくれ。尤も後で外(ホカ)の弟子が來ても、己の睡(ネム)つてゐ
る所へは入れないやうに。」と、ためらひながら云ひつけました。奧と申しますのは、
あの男が畫を描きます部屋で、その日も夜(ヨル)のやうに戸を立て切つた中に、ぼんや
りと灯(ヒ)をともしながら、まだ燒筆(ヤキフデ)で圖取りだけしか出來てゐない屏風が、
ぐるりと立て廻してあつたさうでございます。さてこゝへ參りますと、良秀は肘(ヒヂ)
を枕にして、まるで疲れ切つた人間のやうに、すやすや、睡入(ネイ)つてしまひました
が、ものの半時(ハントキ)とたちません中に、枕もとに居ります弟子の耳には、何とも彼
(カ)とも申しやうのない、氣味の惡い聲がはひり始めました。

        八

 それが始めは唯、聲でございましたが、暫くしますと、次第に切れ切れな語(コトバ)
になつて、云はば溺れかかつた人間が水の中で呻(ウナ)るやうに、かやうな事を申すの
でございます。
「なに、己(オレ)に來いと云ふのだな。--どこへ--どこへ來いと? 奈落(ナラク)へ
來い。炎熱(エンネツ)地獄へ來い。--誰だ。さう云ふ貴樣は。--貴樣は誰だ--誰だ
と思つたら」
 弟子(デシ)は思はず繪の具を溶く手をやめて、恐る恐る師匠の顏を、覗くやうにし
て透(スカ)して見ますと、皺(シワ)だらけな顏が白くなつた上に、大粒な汗を滲(ニジ)ま
せながら、脣の干(カワ)いた、齒の疎(マバラ)な口を喘(アヘ)ぐやうに大きく開けて居りま
す。さうしてその口の中で、何か糸でもつけて引張つてゐるかと疑ふ程、目まぐるし
く動くものがあると思ひますと、それがあの男の舌だつたと申すではございませんか。
切れ切れな語(コトバ)は元より、その舌から出て來るのでございます。
「誰だと思つたら--うん、貴樣だな。己(オレ)も貴樣だらうと思つてゐた。なに、迎
へに來たと? だから來い。奈落(ナラク)へ來い。奈落には--己の娘が待つてゐる。」
 その時、弟子の眼には、朦朧(モウロウ)とした異形(イギヤウ)の影が、屏風の面(オモテ)をか
すめてむらむらと下(オ)りて來るやうに見えた程、氣味の惡い心もちが致したさうで
ございます。勿論弟子はすぐに良秀(ヨシヒデ)に手をかけて、力のあらん限り搖(ユ)り起
しましたが、師匠は猶夢現(ユメウツツ)に獨り語(ゴト)を云ひつゞけて、容易に眼のさめる
氣色(ケシキ)はございません。そこで弟子は思ひ切って、側(カタハラ)にあつた筆洗(ヒツセン)
の水を、ざぶりとあの男の顏へ浴びせかけました。
「待つてゐるから、この車へ乘つて來い--この車へ乘つて、奈落へ來い--」と云
ふ語(コトバ)がそれと同時に、喉(ノド)をしめられるやうな呻(ウメ)き聲に變つたと思ひ
ますと、やつと良秀は眼を開(ア)いて、針で刺されたよりも慌しく、矢庭(ヤニハ)にそこ
へ刎(ハ)ね起きましたが、まだ夢の中の異類(イル'イ)異形(イギヤウ)が、瞼<*2>(マブタ)の後
(ウシロ)を去らないのでございませう。暫くは唯恐ろしさうな眼つきをして、やはり大
きく口を開きながら、空(クウ)を見つめて居りましたが、やがて我に返つた容子(ヨウス)
で、
                                                <*2>「目」偏+「匡」:補助漢字4676
「もう好(イ)いから、あつちへ行つてくれ」と、今度は如何にも素(ソ)つ氣(ケ)なく、
云ひつけるのでございます。弟子はかう云ふ時に逆(サカラ)ふと、何時でも大小言(オホコゴ
ト)を云はれるので、匆々(ソウソウ)師匠の部屋から出て參りましたが、まだ明(アカル)い外
の日の光を見た時には、まるで自分が惡夢から覺めた樣な、ほつとした氣が致したと
か申して居りました。
 しかしこれなぞはまだよい方なので、その後(ゴ)一月ばかりたつてから、今度は又
別の弟子が、わざわざ奧へ呼ばれますと、良秀はやはりうす暗い油火(アブラビ)の光り
の中で、繪筆を噛んで居りましたが、いきなり弟子の方へ向き直つて、
「御苦勞だが、又裸になつて貰はうか。」と申すのでございます。これはその時まで
にも、どうかすると師匠が云ひつけた事でございますから、弟子は早速衣類をぬぎす
てて、赤裸になりますと、あの男は妙に顏をしかめながら、
「わしは鎖(クサリ)で縛られた人間が見たいと思ふのだが、氣の毒でも暫くの間、わし
のする通りになつてゐてはくれまいか。」と、その癖少しも氣の毒らしい容子(ヨウス)
などは見せずに、冷然とかう申しました。元來この弟子は畫筆などを握るよりも、太
刀(タチ)でも持つた方が好ささうな、逞(タクマ)しい若者でございましたが、これには流
石(サスガ)に驚いたと見えて、後々(アトアト)までもその時の話を致しますと、「これは師
匠が氣が違つて、私(ワタシ)を殺すのではないかと思ひました」と繰返して申したさう
でございます。が、良秀の方では相手の愚圖々々(グヅグヅ)してゐるのが、燥(ジレ)
つたくなつて參つたのでございませう。どこから出したか、細い鐵の鎖をざらざらと
手繰(タグ)りながら、殆ど飛びつくやうな勢ひで、弟子の背中へ乘りかかりますと、
否應(イヤオウ)なしにその儘兩腕を捻(ネ)ぢあげて、ぐるぐる卷きに致してしまひました。
さうして又その鎖の端を邪慳(ジヤケン)にぐいと引きましたからたまりません。弟子の
體ははずみを食つて、勢よく床(ユカ)を鳴らしながら、ごろりとそこへ横倒しに倒れて
しまつたのでございます。

        九

 その時の弟子(デシ)の恰好(カツカウ)は、まるで酒甕(サカガメ)を轉がしたやうだとでも申
しませうか。何しろ手も足も慘(ムゴ)たらしく折り曲げられて居りますから、動くの
は唯首ばかりでございます。そこへ肥つた體中の血が、鎖に循環(メグリ)を止められた
ので、顏と云はず胴(ドウ)と云はず、一面に皮膚の色が赤み走つて參るではございま
せんか。が、良秀(ヨシヒデ)にはそれも格別氣にならないと見えまして、その酒甕のや
うな體のまはりを、あちこちと廻つて眺めながら、同じやうな寫眞の圖を何枚となく
描(カ)いて居りました。その間、縛られてゐる弟子の身が、どの位苦しかつたかと云
ふ事は、何もわざわざ取り立てて申し上げるまでもございますまい。
 が、もし何事も起らなかつたと致しましたら、この苦しみは恐らくまだその上にも、
つゞけられた事でございませう。幸(サイハヒ)(と申しますより、或は不幸にと申した方
がよろしいかも知れません。)暫く致しますと、部屋の隅にある壺(ツボ)の陰から、
まるで黒い油のやうなものが、一すぢ細くうねりながら、流れ出して參りました。そ
れが始の中は餘程粘(ネバ)り氣(ケ)のあるもののやうに、ゆつくり動いて居りましたが、
だんだん滑らかに辷(スベ)り始めて、やがてちらちら光りながら、鼻の先まで流れ着
いたのを眺めますと、弟子は思はず、息を引いて、
「蛇(ヘビ)が--蛇が。」と喚(ワメ)きました。その時は全く體中の血が一時に凍るか
と思つたと申しますが、それも無理はございません。蛇は實際もう少しで、鎖の食ひ
こんでゐる、頸(ウナジ)の肉へその冷(ツメタ)い舌の先を觸れようとしてゐたのでござい
ます。この思ひもよらない出來事には、いくら横道(ワウダウ)な良秀でも、ぎよつと致
したのでございませう。慌(アワ)てて畫筆を投げ棄てながら、咄嗟(トツサ)に身をかがめ
たと思ふと素早く蛇の尾をつかまへて、ぶらりと逆(サカサマ)に吊(ツ)り下(サ)げました。
蛇は吊り下げられながらも、頭を上げてきりきりと自分の體へ卷きつきましたが、ど
うしてもあの男の手の所まではとどきません。
「おのれ故に、あつたら一筆(ヒトフデ)を仕損じたぞ。」
 良秀は忌々(イマイマ)しさうにかう呟(ツブヤ)くと、蛇はその儘部屋の隅の壺の中へ抛り
こんで、それからさも不承(フシヨウ)無承(ブシヨウ)に、弟子の體へかゝつてゐる鎖を解い
てくれました。それも唯解いてくれたと云ふ丈で、肝腎(カンジン)の弟子の方へは、優
しい言葉一つかけてはやりません。大方弟子が蛇に噛まれるよりも、寫眞の一筆を誤
つたのが、業腹(ゴフハラ)だつたのでございませう。--後で聞きますと、この蛇もや
はり姿を寫す爲に、わざわざあの男が飼つてゐたのださうでございます。
 これだけの事を御聞きになつたのでも、良秀の氣違ひじみた、簿氣味の惡い夢中に
なり方が、略(ホボ)、御わかりになつた事でございませう。所が最後にもう一つ、今
度はまだ十三四の弟子が、やはり地獄變の屏風の御かげで、云はば命にも關(カカ)はり
兼ねない、恐ろしい目に出遇ひました。その弟子は生れつき色の白い女のやうな男で
ございましたが、或夜の事、何氣なく師匠の部屋へ呼ばれて參りますと、良秀は燈臺
の火の下で掌(テノヒラ)に何やら腥(ナマグサ)い肉をのせながら、見慣れない一羽の鳥を養
つてゐるのでございます。大きさは先(マヅ)、世の常の猫ほどでもございませうか。
さう云へば、耳のやうに兩方へつき出た羽毛と云ひ、琥珀(コハク)のやうな色をした、
大きな圓(マル)い眼(メ)と云ひ、見た所も何となく猫に似て居りました。

        十

 元來良秀(ヨシヒデ)と云ふ男は、何でも自分のしてゐる事に嘴(クチバシ)を入れられるの
が大嫌ひで、先刻申し上げた蛇などもさうでございますが、自分の部屋の中に何があ
るか、一切(イツサイ)さう云ふ事は弟子たちにも知らせた事がございません。でございま
すから、或時は机の上に髑髏(サレカウベ)がのつてゐたり、或時は又、銀(シロガネ)の椀(マリ)
や蒔繪(マキ'エ)の高坏(タカツキ)が並んでゐたり、その時描いてゐる畫('エ)次第で、隨分思
ひもよらない物が出て居りました。が、ふだんはかやうな品を、一體どこにしまつて
置くのか、それは又誰にもわからなかつたさうでございます。あの男が福徳(フクトク)の
大神(オホガミ)の冥助(ミヤウジヨ)を受けてゐるなどと申す噂も、一つは確にさう云ふ事が
起りになつてゐたのでございませう。
 そこで弟子は、机の上のその異樣な鳥も、やはり地獄變の屏風を描(カ)くのに入用
なのに違ひないと、かう獨り考へながら、師匠の前へ畏(カシコ)まつて、「何か御用で
ございますか。」と、恭々(ウヤウヤ)しく申しますと、良秀はまるでそれが聞えないやう
に、あの赤い脣へ舌なめずりをして、「どうだ、よく馴(ナ)れてゐるではないか。」
と、鳥の方へ頤(アゴ)をやります。
「これは何と云ふものでございませう。私はつひぞまだ、見た事がございませんが。」
 弟子はかう申しながら、この耳のある、猫のやうな鳥を、氣味惡さうにじろじろ眺
めますと、良秀は不相變(アヒカハラズ)何時もの嘲笑(アザワラ)ふやうな調子で、
「なに、見た事がない? 都育ちの人間はそれだから困る。これは二三日前に鞍馬(ク
ラマ)の獵師がわしにくれた耳木兎(ミミヅク)と云ふ鳥だ。唯、こんなに馴れてゐるのは、
澤山(タクサン)あるまい。」
 かう云ひながらあの男は、徐(オモムロ)に手をあげて、丁度餌(エ)を食べてしまつた耳
木兎(ミミヅク)の背中の毛を、そつと下から撫で上げました。するとその途端(トタン)でご
ざいます。鳥は急に鋭い聲で、短く一聲(ヒトコ'エ)啼いたと思ふと、忽ち机の上から飛
び上つて、兩脚の爪を張りながら、いきなり弟子の顏へとびかゝりました。もしその
時、弟子が袖(ソデ)をかざして、慌てて顏を隱さなかつたら、きつともう疵(キズ)の一
つや二つは負(オ)はされて居りましたらう。あつと云ひながら、その袖を振つて、逐
(オ)ひ拂はうとする所を、耳木兎は蓋(カサ)にかかつて、嘴を鳴らしながら、又一突き
--弟子は師匠の前も忘れて、立つては防ぎ、坐つては逐(オ)ひ、思はず狹い部屋の
中を、あちらこちらと逃げ惑ひました。怪鳥(ケテウ)も元よりそれにつれて、高く低く
翔(カケ)りながら、隙さへあれば驀地(マツシグラ)に眼を目がけて飛んで來ます。その度に
ばさばざと、凄(スサマ)じく翼を鳴すのが、落葉の匂(ニホヒ)だか、瀧の飛沫(シブキ)だか、
或は又猿酒(サルザケ)の饐(ス)ゑたいきれだか、何やら怪しげなもののけはひを誘(サソ)つ
て、氣味の惡さと云つたらございません。さう云へばその弟子も、うす暗い油火の光
さへ朧(オボロ)げな月明りかと思はれて、師匠の部屋がその儘遠い山奧の、妖氣(エウキ)
に閉された谷のやうな、心細い氣がしたとか申したさうでございます。
 しかし弟子が恐しかつたのは、何も耳木兎(ミミヅク)に襲はれると云ふ、その事ばか
りではございません。いや、それよりも一層身の毛がよだつたのは、師匠の良秀がそ
の騷ぎを冷然と眺めながら、徐(オモムロ)に紙を展(ノ)べ筆を舐(ネブ)つて、女のやうな少
年が異形(イギヤウ)な鳥に虐(サイナ)まれる、物凄い有樣を寫してゐた事でございます。弟
子は一目それを見ますと、忽ち云ひやうのない恐ろしさに脅(オビヤ)かされて、實際一
時は師匠の爲に、殺されるのではないかとさヘ、思つたと申して居りました。
snowdong
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发布于:2010-10-23 16:43
地狱变(四)


        十一

 實際師匠(シシヤウ)に殺されると云ふ事も、全くないとは申されません。現にその晩わ
ざわざ弟子(デシ)を呼びよせたのでさへ、實は耳木兎(ミミヅク)を唆(ケシ)かけて、弟子の
逃げまはる有樣を寫さうと云ふ魂膽(コンタン)らしかつたのでございます。でございます
から、弟子は、師匠の容子(ヨウス)を一目見るが早いか、思はず兩袖に頭を隱しながら、
自分にも何と云つたかわからないやうな悲鳴をあげて、その儘部屋の隅の遣戸(ヤリド)
の裾へ、居ずくまつてしまひました。とその拍子に、良秀(ヨシヒデ)も何やら慌てたや
うな聲をあげて、立上つた氣色(ケシキ)でございましたが、忽(タチマ)ち耳木兎の羽音が一
層前よりもはげしくなつて、物の倒れる音や破れる音が、けたゝましく聞えるではご
ざいませんか。これには弟子も二度、度を失つて、思はず隱してゐた頭を上げて見ま
すと、部屋の中は何時かまつ暗になつてゐて、師匠の弟子たちを呼び立てる聲が、そ
の中で苛立(イラダタ)しさうにして居ります。
 やがて弟子の一人が、遠くの方で返事をして、それから灯(ヒ)をかざしながら、急
いでやつて參りましたが、その煤臭(ススクサ)い明りで眺めますと、結燈臺(ユヒトウダイ)が
倒れたので、床(ユカ)も疊も一面に油だらけになつた所へ、さつきの耳木兎(ミミヅク)が
片方の翼ばかり苦しさうにはためかしながら、轉(コロ)げまはつてゐるのでございます。
良秀は机の向うで半ば體を起した儘、流石(サスガ)に呆氣(アツケ)にとられたやうな顏を
して、何やら人にはわからない事を、ぶつぶつ呟(ツブヤ)いて居りました。--それも
無理ではございません。あの耳木兎の體には、まつ黒な蛇が一匹、頸から片方の翼へ
かけて、きりきりと捲きついてゐるのでございます。大方(オホカタ)これは弟子が居ずく
まる拍子に、そこにあつた壺をひつくり返して、その中の蛇が這ひ出したのを、耳木
兎がなまじひに掴(ツカ)みかゝらうとしたばかりに、とうとうかう云ふ大騷(オホサワギ)が
始まつたのでございませう。 二人の弟子は互に眼と眼とを見合せて、暫くは唯、こ
の不思議な光景をぼんやり眺めて居りましたが、やがて師匠に默禮をして、こそこそ
部屋へ引き下つてしまひました。蛇と耳木兎とがその後(ゴ)どうなつたか、それは誰
も知つてゐるものはございません。--
 かう云ふ類(タグヒ)の事は、その外まだ、幾つとなくございました。前には申し落し
ましたが、地獄變(ヂゴクヘン)の屏風を描けと云ふ御沙汰があつたのは、秋の初でござ
いますから、それ以來冬の末まで、良秀の弟子たちは、絶えず師匠の怪しげな振舞(フ
ルマヒ)に脅(オビヤ)かされてゐた譯でございます。が、その冬の末に良秀は何か屏風の畫
で、自由にならない事が出來たのでございませう、それまでよりは一層容子(ヨウス)も
陰氣になり、物云ひも目に見えて、荒々しくなつて參りました。と同時に又屏風の畫
も、下畫(シタ'エ)が八分通り出來上つた儘、更に捗(ハカ)どる模樣はございません。いや、
どうかすると今までに描いた所さへ、塗り消してもしまひ兼ねない氣色(ケシキ)なので
ございます。
 その癖、屏風の何が自由にならないのだか、それは誰にもわかりません。又誰もわ
からうとしたものもございますまい。前のいろいろな出來事に懲(コ)りてゐる弟子た
ちは、まるで虎狼(トラオホカミ)と一つ檻(オリ)にでもゐるやうな心もちで、その後師匠の身
のまはりへは、成る可く近づかない算段をして居りましたから。

        十二

 從つてその間の事に就いては、別に取り立てて申し上げる程の御話もございません。
もし強ひて申し上げると致しましたら、それはあの強情(ガウジヤウ)な老爺(オヤヂ)が、
何故(ナゼ)か妙に涙脆(ナミダモロ)くなつて、人のゐない所では時々獨りで泣いてゐたと
云ふ御話位なものでございませう。殊に或日、何かの用で弟子の一人が、庭先へ參り
ました時なぞは、廊下(ラウカ)に立つてぼんやり春の近い空を眺めてゐる師匠の眼が、
涙で一ぱいになつてゐたさうでございます。弟子はそれを見ますと、反つてこちらが
恥しいやうな氣がしたので、默つてこそこそ引き返したと申す事でございますが、五
趣(ゴシユ)生死(シヤウジ)の圖を描(カ)く爲には、道ばたの死骸さへ寫したと云ふ、傲慢(ガ
ウマン)なあの男が屏風の畫が思ふやうに描けない位の事で、子供らしく泣き出すなどと
申すのは隨分異(イ)なものでございませんか。
 所が一方良秀(ヨシヒデ)がこのやうに、まるで正氣(シヤウキ)の人間とは思はれない程夢
中になつて、屏風の繪を描いて居ります中(ウチ)に、又一方ではあの娘が、何故(ナゼ)
かだんだん氣鬱(キウツ)になつて、私(ワタクシ)どもにさへ涙を堪(コラ)へてゐる容子(ヨウス)が、
眼に立つて參りました。それが元來愁顏(ウレヒガホ)の、色の白い、つゝましやかな女だ
けに、かうなると何だか睫毛(マツゲ)が重くなつて、眼のまはりに隈(クマ)がかゝつたや
うな、餘計寂しい氣が致すのでございます。始はやれ父思ひのせゐだの、やれ戀煩(コ
ヒワヅラ)ひをしてゐるからだの、いろいろ臆測を致したものでございますが、中頃から、
なにあれは大殿樣(オホトノサマ)が御意(ギヨイ)に從はせようとしていらつしやるのだと云ふ
評判が立ち始めて、夫(ソレ)からは誰も忘れた樣に、ぱつたりあの娘の噂をしなくなつ
て了(シマ)ひました。
 丁度その頃の事でございませう。或夜、更(カウ)が闌(タ)けてから、私が獨り御廊下
を通りかゝりますと、あの猿の良秀がいきなりどこからか飛んで參りまして、私の袴
の裾を頻りにひつぱるのでございます。確(タシカ)、もう梅の匂(ニホヒ)でも致しさうな、
うすい月の光のさしてゐる、暖い夜(ヨル)でございましたが、其明りですかして見ます
と、猿はまつ白な齒をむき出しながら、鼻の先へ皺をよせて、氣が違はないばかりに
けたゝましく啼き立ててゐるではございませんか。私は氣味の惡いのが三分と、新し
い袴をひっぱられる腹立たしさが七分とで、最初は猿を蹴放(ケハナ)して、その儘通り
すぎようかとも思ひましたが、又思ひ返して見ますと、前にこの猿を折檻(セツカン)して、
若殿樣の御不興(ゴフキヨウ)を受けた侍の例もございます。それに猿の振舞が、どうも唯
事とは思はれません。そこでとうとう私も思ひ切つて、そのひっぱる方へ五六間歩く
ともなく歩いて參りました。
 すると御廊下が一曲(ヒトマガ)り曲つて、夜目にもうす白い御池の水が枝ぶりのやさ
しい松の向うにひろびろと見渡せる、丁度そこ迄參つた時の事でございます。どこか
近くの部屋の中で人の爭つてゐるらしいけはひが、慌(アワタダ)しく、又妙にひつそり
と私の耳を脅(オビヤカ)しました。あたりはどこも森(シン)と靜まり返つて、月明りとも
靄(モヤ)ともつかないものの中で、魚の跳(ヲド)る音がする外は、話し聲一つ聞えませ
ん。そこへこの物音でございますから、私は思はず立止つて、もし狼籍者(ラウゼキモノ)
ででもあつたなら、目にもの見せてくれようと、そつとその遣戸(ヤリド)の外へ、息を
ひそめながら身をよせました。

        十三

 所が猿(サル)は私(ワタクシ)のやり方がまだるかつたのでございませう。良秀(ヨシヒデ)は
さもさももどかしさうに、二三度私の足のまはりを駈けまはつたと思ひますと、まる
で咽(ノド)を絞(シ)められたやうな聲で啼きながら、いきなり私の肩のあたりへ一足(イ
ツソク)飛びに飛び上りました。私は思はず頸(ウナジ)を反(ソ)らせて、その爪にかけられ
まいとする、猿は又水干(ス'イカン)の袖にかじりついて、私の體から、辷(スベ)り落ちま
いとする、--その拍子に、私はわれ知らず二足三足よろめいて、その遣戸(ヤリド)へ
後(ウシロ)ざまに、したゝか私の體を打ちつけました。かうなつては、もう一刻も躊躇
(チウチヨ)してゐる場合ではございません。私は矢庭(ヤニハ)に遣戸(ヤリド)を開け放して、
月明りのとどかない奧の方へ跳りこまうと致しました。が、その時私の眼を遮(サヘギ)
つたものは--いや、それよりももつと私は、同時にその部屋の中から、彈(ハジ)か
れたやうに駈け出さうとした女の方(ハウ)に驚かざれました。女は出合頭(デアヒガシラ)に
危く私に衝(ツ)き當らうとして、その儘外へ轉(コロ)び出ましたが、何故(ナゼ)かそこへ
膝(ヒザ)をついて、息を切らしながら私の顏を、何か恐ろしいものでも見るやうに、
戰(ヲノノ)き戰き見上げてゐるのでございます。
 それが良秀の娘だつたことは、何もわざわざ申し上げるまでもございますまい。が、
その晩のあの女は、まるで人間が違つたやうに、生々(イキイキ)と私の眼に映(ウツ)りまし
た。眼は大きくかゞやいて居ります。頬も赤く燃えて居りましたらう。そこへしどけ
なく亂れた袴や袿(ウチギ)が、何時もの幼さとは打つて變つた艷(ナマメカ)しささへも添へ
てをります。これが實際あの弱々しい、何事にも控(ヒカ)へ目勝な良秀の娘でございま
せうか。--私は遣戸(ヤリド)に身を支(ササ)へて、この月明りの中にゐる美しい娘の姿
を眺めながら、慌(アワタダ)しく遠のいて行くもう一人の足音を、指させるもののやう
に指さして、誰ですと靜に眼で尋ねました。
 すると娘は脣(クチビル)を噛みながら、默つて首をふりました。その容子(ヨウス)が如何
にも亦口惜(クヤ)しさうなのでございます。
 そこで私は身をかゞめながら、娘の耳へ口をつけるやうにして、今度は「誰です」
と小聲で尋ねました。が、娘はやはり首を振つたばかりで、何とも返事を致しません。
いや、それと同時に長い睫毛(マツゲ)の先へ、涙を一ぱいためながら、前よりも緊(カタ)
く脣を噛みしめてゐるのでございます。
 性得(シヤウトク)愚(オロカ)な私には、分りすぎてゐる程分つてゐる事の外(ホカ)は、生僧(ア
イニク)何一つ呑みこめません。でございますから、私は語(コトバ)のかけやうも知らない
で、暫くは唯、娘の胸の動悸(ドウキ)に耳を澄ませるやうな心もちで、ぢつとそこに立
ちすくんで居りました。尤もこれは一つには、何故かこの上問ひ訊(タダ)すのが惡い
やうな、氣咎(キトガ)めが致したからでもございます。--
 それがどの位續いたか、わかりません。が、やがて開け放した遣戸(ヤリド)を閉しな
がら、少しは上氣(ジヤウキ)の褪(サ)めたらしい娘の方を見返つて、「もう曹司(ザウシ)へ
御歸りなさい」と出來る丈(ダケ)やさしく申しました。さうして私も目分ながら、何
か見てはならないものを見たやうな、不安な心もちに脅(オビヤカ)されて、誰にともな
く恥しい思ひをしながら、そつと元(モト)來た方へ歩き出しました。所が十歩と歩かな
い中に、誰か又私の袴の裾を、後(ウシロ)から恐る恐る、引き止めるではございません
か。私は驚いて、振り向きました。あなた方はそれが何だつたと思召(オボシメ)します

 見るとそれは私の足もとにあの猿の良秀が、人間のやうに兩手をついて、黄金(コガ
ネ)の鈴を鳴しながら、何度となく丁寧に頭を下げてゐるのでございました。

        十四

 するとその晩の出來事があつてから、半月ばかり後(ノチ)の事でございます。或日良
秀(ヨシヒデ)は突然御邸(オヤシキ)へ參りまして、大殿樣(オホトノサマ)へ直(ヂキ)の御眼通りを願
ひました。卑しい身分のものでございますが、日頃から格別御意に入つてゐたからで
ございませう。誰にでも容易(ヨウイ)に御會ひになつた事のない大殿樣が、その日も快
く御(ゴ)承知になつて、早速御前(ゴゼン)近くへ御召しになりました。あの男は例の
通り香染(カウゾ)めの狩衣(カリギヌ)に萎(ナ)えた烏帽子('エボシ)を頂いて、何時もよりは
一層氣むづかしさうな顏をしながら、恭しく御前へ平伏致しましたが、やがて嗄(シハ
ガ)れた聲で申しますには、
「兼ね兼ね御云ひつけになりました地獄變の屏風でございますが、私(ワタクシ)も日夜に
丹誠(タンセイ)を抽(ヌキ)んでて、筆を執りました甲斐(カヒ)が見えまして、もはやあらまし
は出來上つたのも同前でございまする。」
「それは目出度い。予も滿足ぢや。」
 しかしかう仰有(オツシヤ)る大殿樣の御聲には、何故(ナゼ)か妙に力の無い、張合(ハリアヒ)
のぬけた所がございました。
「いえ、それが一向(イツカウ)目出度くはござりませぬ。」良秀は、稍腹立しさうな容子
(ヨウス)でぢつと眼を伏せながら、
「あらましは出來上りましたが、唯一つ、今以て私には描(カ)けぬ所がございまする。」
「なに、描けぬ所がある?」
「さやうでございまする。私は總じて、見たものでなければ描けませぬ。よし描けて
も、得心(トクシン)が參りませぬ。それでは描けぬも同じ事でございませぬか。」
 これを御聞きになると、大殿樣の御顏には、嘲(アザケ)るやうな御(ゴ)微笑が浮びま
した。
「では地獄變の屏風を描かうとすれば、地獄を見なければなるまいな。」
「さやうでござりまする。が、私は先年大火事がございました時に、炎熱地獄の猛火
にもまがふ火の手を、眼(マ)のあたりに眺めました。「よぢり不動」の火焔を描きま
したのも、實はあの火事に遇つたからでございまする。御前(ゴゼン)もあの繪は御承
知でございませう。」
「しかし罪人はどうぢや。獄卒は見た事があるまいな。」大殿樣はまるで良秀の申す
事が御耳にはひらなかつたやうな御(ゴ)容子で、かう疊みかけて御尋ねになりました。
「私は鐵(クロガネ)の鎖(クサリ)に縛(イマシメ)られたものを見た事がございまする。怪鳥(ケテウ)
に惱まされるものの姿も、具(ツブサ)に寫しとりました。されば罪人の呵責(カシヤク)に苦
しむ樣(サマ)も知らぬと申されませぬ。又獄卒は--」と云つて、良秀は氣味の惡い苦
笑を洩(モラ)しながら、「又獄卒は、夢現(ユメウツツ)に何度となく、私の眼(メ)に映りまし
た。或は牛頭(ゴヅ)、或は馬頭(メヅ)、或は三面(サンメン)六臂(ロツピ)の鬼の形が、音の
せぬ手を拍(タタ)き、聲の出ぬ口を開(ヒラ)いて、私を虐(サイナ)みに參りますのは、殆ど
毎日毎夜のことと申してもよろしうございませう。--私の描かうとして描けぬのは、
そのやうなものではございませぬ。」
 それには大殿樣も、流石(サスガ)に御驚きになつたでございませう。暫くは唯苛立(イ
ラダ)たしさうに、良秀の顏を睨(ニラ)めて御出(オイデ)になりましたが、やがて眉を險(ケ
ハ)しく御動かしになりながら、
「では何が描けぬと申すのぢや。」と打捨(ウツチヤ)るやうに仰有(オツシヤ)いました。
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发布于:2010-10-23 16:45
地狱变(五)


        十五

「私(ワタクシ)は屏風の唯中に、檳榔毛(ビラウゲ)の車が一輛、空から落ちて來る所を描(カ)
かうと思つて居りまする。」良秀(ヨシヒデ)はかう云つて、始めて鋭く大殿樣(オホトノサマ)
の御顏を眺めました。あの男は畫の事と云ふと、氣違ひ同樣になるとは聞いて居りま
したが、その時の眼くばりには確(タシカ)にさやうな恐ろしさがあつたやうでございま
す。
「その車の中には、一人のあでやかな上臈(ジヤウラフ)が、猛火の中に黒髮を亂しながら、
悶(モダ)え苦しんでゐるのでございまする。顏は煙に咽(ムセ)びながら、眉を顰(ヒソ)め
て、空ざまに車蓋(ヤカタ)を仰いで居りませう。手は下簾(シタスダレ)を引きちぎつて、降
りかゝる火の粉の雨を防がうとしてゐるかも知れませぬ。さうしてそのまはりには、
怪しげな鷙鳥(シテウ)が十羽となく、二十羽となく、嘴(クチバシ)を鳴らして紛々(プンプン)
と飛び繞(メグ)つてゐるのでございまする。--あゝそれが、牛車(ギツシヤ)の中の上臈
(ジヤウラフ)が、どうしても私には描けませぬ。」
「さうして--どうぢや。」
 大殿樣はどう云ふ譯か、妙に悦ばしさうな御氣色(ミケシキ)で、かう良秀を御促(オウナガ)
しになりました。が、良秀は例の赤い脣を熱でも出た時のやうに震はせながら、夢を
見てゐるのかと思ふ調子で、
「それが私には描けませぬ。」と、もう一度繰返しましたが、突然噛みつくやうな勢
ひになつて、
「どうか檳榔毛(ビラウゲ)の車を一輛、私の見てゐる前で、火をかけて預きたうござい
まする。さうしてもし出來まするならば--」
 大殿樣は御顏を暗くなすつたと思ふと、突然けたたましく御笑ひになりました。さ
うしてその御笑ひ聲に息をつまらせながら、仰有(オツシヤ)いますには、
「おゝ、萬事その方が申す通りに致して遣(ツカ)はさう。出來る出來ぬの詮議(センギ)は
無益(ムヤク)の沙汰ぢや。」
 私(ワタクシ)はその御語(オコトバ)を伺ひますと、蟲の知らせか、何となく凄じい氣が致
しました。實際又大殿樣の御容子(ゴヨウス)も、御口の端(ハシ)には白く泡がたまつて居
りますし、御眉(オンマユ)のあたりにはびくびくと電(イナヅマ)が起つて居りますし、まる
で良秀のもの狂ひに御染(オソ)みなすつたのかと思ふ程、唯ならなかつたのでございま
す。それがちよいと語(コトバ)を御切りになると、すぐ又何かが爆(ハ)ぜたやうな勢ひ
で、止め度(ド)なく喉(ノド)を鳴らして御笑ひになりながら、
「檳榔毛(ビラウゲ)の車にも火をかけよう。又その中にはあでやかな女を一人、上臈(ジ
ヤウラフ)の裝(ヨソホヒ)をさせて乘せて遣(ツカ)はさう。炎(ホノホ)と黒煙(クロケムリ)とに攻められ
て、車の中の女が、悶(モダ)え死(ジニ)をする--それを描かうと思ひついたのは、流
石(サスガ)に天下第一の繪師ぢや。褒(ホ)めてとらす。おゝ、褒めてとらすぞ。」
 大殿樣の御言葉を聞きますと、良秀は急に色を失つて喘(アヘ)ぐやうに唯、脣ばかり
動かして居りましたが、やがて體中の筋が緩(ユル)んだやうに、べたりと疊へ兩手をつ
くと、
「難有(アリガタ)い仕合でございまする。」と、聞えるか聞えないかわからない程低い
聲で、丁寧に御禮を申し上げました。これは大方自分の考へてゐた目(モク)ろみの恐ろ
しさが、大殿樣の御言葉につれてありありと目の前へ浮んで來たからでございませう
か。私は一生の中(ウチ)に唯一度、この時だけは良秀が、氣の毒な人間に思はれました。

        十六

 それから二三日した夜(ヨル)の事でございます。大殿樣(オホトノサマ)は御約束通り、良秀
(ヨシヒデ)を御召しになつて、檳榔毛(ビラウゲ)の車の燒ける所を、目近(マヂカ)く見せて
御やりになりました。尤もこれは堀川(ホリカハ)の御邸(オヤシキ)であつた事ではございませ
ん。俗に雪解(ユキゲ)の御所(ゴシヨ)と云ふ、昔大殿樣の妹君がいらしつた洛外の山莊で、
御燒きになつたのでございます。
 この雪解(ユキゲ)の御所と申しますのは、久しくどなたにも御住ひにはならなかつた
所で、廣い御庭も荒れ放題(ハウダイ)荒れ果てて居りましたが、大方この人氣(ヒトケ)のな
い御容子(ゴヨウス)を拜見した者の當推量(アテズ'イリヤウ)でございませう。こゝで御歿(ナ)
くなりになつた妹君の御身の上にも、兎角(トカク)の噂が立ちまして、中には又月のな
い夜毎々々に、今でも怪しい御(オン)袴の緋(ヒ)の色が、地にもつかず御廊下を歩むな
どと云ふ取沙汰を致すものもございました。--それも無理ではございません。晝で
さへ寂しいこの御所は、一度日が暮れたとなりますと、遣水(ヤリミズ)の音が一際(ヒトキハ)
陰(イン)に響いて、星明りに飛ぶ五位鷺(ゴ'イサギ)も、怪形(ケギヤウ)の物かと思ふ程、氣
味が惡いのでございますから。
 丁度その夜はやはり月のない、まつ暗な晩でございましたが、大殿油(オホトノアブラ)の
灯影(ホカゲ)で眺めますと、縁(エン)に近く座を御占めになつた大殿樣は、淺黄(アサギ)の
直衣(ナホシ)に濃い紫の浮紋(ウキモン)の指貫(サシヌキ)を御召になつて、白地の錦の縁(フチ)を
とつた圓座(ワラフダ)に、高々とあぐらを組んでいらつしやいました。その前後左右に
御側の者どもが五六人、恭しく居並んで居りましたのは、別に取り立てて申し上げる
までもございますまい。が、中に一人、眼だつて事ありげに見えたのは、先年陸奧(ミ
チノク)の戰ひに餓(ウ)ゑて人の肉を食つて以來、鹿(シカ)の生角(イキヅノ)さへ裂くやうにな
つたと云ふ強力(ガウリキ)の侍が、下に腹卷を着こんだ容子(ヨウス)で、太刀を鴎尻(カモメジ
リ)に佩(ハ)き反(ソ)らせながら、御縁(ゴエン)の下に嚴(イカメ)しくつくばつてゐた事でご
ざいます。--それが皆、夜風に靡(ナビ)く灯(ヒ)の光で、或は明るく或は暗く、殆ど
夢現(ユメウツツ)を分たない氣色(ケシキ)で、何故(ナゼ)かもの凄く見え渡つて居りました。
 その上に又、御庭に引き据ゑた檳榔毛(ビラウゲ)の車が、高い車蓋(ヤカタ)にのつしり
と暗を抑へて、牛はつけず黒い轅(ナガエ)を斜(ナナメ)に榻(シヂ)へかけながら、金物(カナモ
ノ)の黄金(コガネ)を星のやうに、ちらちら光らせてゐるのを眺めますと、春とは云ふも
のの何となく肌寒い氣が致します。尤もその車の内は、浮線綾(フセンリヨウ)の縁(フチ)をと
つた青簾(アヲスダレ)が、重く封じこめて居りますから、箱<*3>(ハコ)には何がはひつてゐ
るか判りません。さうしてそのまはりには仕丁(ジチヤウ)たちが、手ん手に燃えさかる
松明(マツ)を執つて、煙が御縁の方へ靡くのを氣にしながら、仔細らしく控へて居りま
す。
                                            <*3>「車」偏+「非」:補助漢字にもなし
 當の良秀は稍(ヤヤ)離れて、丁度御縁の眞向(マムカヒ)に、跪(ヒザマヅ)いて居りましたが、
これは何時(イツ)もの香染(カウゾメ)らしい狩衣(カリギヌ)に萎(ナ)えた揉烏帽子(モミ'エボシ)を
頂いて、星空(ホシゾラ)の重みに壓(オ)されたかと思ふ位、何時もよりは猶小さく、見す
ぼらしげに見えました。その後(ウシロ)に又一人同じやうな烏帽子狩衣の蹲(ウヅクマ)つた
のは、多分召し連れた弟子の一人ででもございませうか。それが丁度二人とも、遠い
うす暗がりの中に蹲(ウヅクマ)つて居りますので、私のゐた御縁の下からは、狩衣の色
さへ定かにはわかりません。

        十七

 時刻は彼是(カレコレ)眞夜中にも近かつたでございませう。林泉をつゝんだ暗がひつそ
りと聲を呑んで、一同のする息を窺(ウカガ)つてゐると思ふ中には、唯かすかな夜風の
渡る音がして、松明(マツ)の煙がその度に煤臭(ススクサ)い匂(ニホヒ)を送つて參ります。大
殿樣(オホトノサマ)は暫く默つて、この不思議な景色(ケシキ)をぢつと眺めていらつしやいま
したが、やがて膝を御進めになりますと、
「良秀(ヨシヒデ)、」と、鋭く御呼びかけになりました。
 良秀は何やら御(ゴ)返事を致したやうでございますが、私(ワタクシ)の耳には唯、唸る
やうな聲しか聞えて參りません。
「良秀。今宵(コヨヒ)はその方(ハウ)の望み通り、車に火をかけて見せて遣(ツカ)はさう。」
 大殿樣はかう仰有(オツシヤ)つて、御側の者たちの方(ハウ)を流し眄(メ)に御覽になりま
した。その時何か大殿樣と御側の誰彼との間には、意味ありげな微笑が交(カハ)された
やうにも見うけましたが、これは或は私の氣のせゐかも分りません。すると良秀は畏
(オソ)る畏る頭(カシラ)を擧げて御縁の上を仰いだらしうございますが、やはり何も申し
上げずに控(ヒカ)へて居ります。
「よう見い。それは予が日頃乘る車ぢや。その方も覺えがあらう。予は--その車に
これから火をかけて、目(マ)のあたりに炎熱地獄を現(ゲン)ぜさせる心算(ツモリ)ぢやが。」
 大殿樣は又語(コトバ)を御止(ヤ)めになつて、御側の者たちにメクバ<*4>せをなさい
ました。それから急に苦々(ニガニガ)しい御(ゴ)調子で、
「その中には罪人の女房が一人、縛(イマシ)めた儘乘せてある。されば車に火をかけた
ら、必定(ヒツヂヤウ)その女めは肉を燒き骨を焦(コガ)して、四苦八苦の最期(サイゴ)を遂
げるであらう。その方が屏風(ビヤウブ)を仕上げるには、又とない好(ヨ)い手本ぢや。
雪のやうな肌(ハダ)が燃え爛(タダ)れるのを見のがすな。黒髮が火の粉になつて、舞ひ
上るさまもよう見て置け。」
                                                <*4>「目」偏+「旬」:補助漢字4674
 大殿樣は三度口を御噤(オツグ)みになりましたが、何を御思ひになつたのか、今度は
唯肩を搖(ユス)つて、聲も立てずに御笑ひなさりながら、
「末代までもない觀物(ミモノ)ぢや。予もここで見物しよう。それそれ、簾(スダレ)を揚
げて、良秀に中の女を見せて遣(ツカハ)さぬか。」
 仰(オホセ)を聞くと仕丁(ジチヤウ)の一人は、片手に松明(マツ)の火を高くかざしながら、
つかつかと車に近づくと、矢庭に片手をさし伸ばして、簾をさらりと揚げて見せまし
た。けたゝましく音を立てて燃える松明(マツ)の光は、一しきり赤くゆらぎながら、忽
ち狹い箱<*3>(ハコ)の中を鮮(アザヤ)かに照し出しましたが、トコ<*5>の上に慘(ムゴタ)ら
しく、鎖にかけられた女房は--あゝ、誰か見違へを致しませう。きらびやかな繍(ヌ
ヒ)のある櫻の唐衣(カラギヌ)にすべらかしの黒髮が艷(アデ)やかに垂れて、うちかたむい
た黄金(コガネ)の釵子(サイシ)も美しく輝いて見えましたが、身なりこそ違へ、小造りな
體つきは、猿轡(サルグツワ)のかかつた頸(ウナジ)のあたりは、さうしてあの寂しい位つゝ
ましやかな横顏は、良秀の娘に相違ございません。私は危く叫び聲を立てようと致し
ました。
                                            <*5>「車」偏+「因」:補助漢字にもなし
 その時でございます。私と向ひあつてゐた侍は慌しく身を起して、柄頭(ツカガシラ)を
片手に抑へながら、屹(キツ)と良秀の方を睨(ニラ)みました。それに驚いて眺めますと、
あの男はこの景色(ケシキ)に、半ば正氣(シヤウキ)を失つたのでございませう。今まで下に
蹲(ウヅクマ)つてゐたのが、急に飛び立つたと思ひますと、兩手を前へ伸した儘、車の
方へ思はず知らず走りかゝらうと致しました。唯生憎(アイニク)前にも申しました通り、
遠い影の中に居りますので、顏貌(カホカタチ)ははつきりと分りません。しかしさう思つ
たのはほんの一瞬間で、色を失つた良秀の顏は、いや、まるで何か目に見えない力が
宙へ吊り上げたやうな良秀の姿は、忽ちうす暗がりを切り拔いてありありと眼前へ浮
び上りました。娘を乘せた檳榔毛(ビラウゲ)の車が、この時、「火をかけい」と云ふ大
殿樣の御語(オコトバ)と共に、仕丁(ジチヤウ)たちが投げる松明(マツ)の火を浴びて炎々と燃
え上つたのでございます。

        十八

 火は見る見る中に、車蓋(ヤカタ)をつゝみました。庇(ヒサシ)についた紫の流蘇(フサ)が、
煽(アフ)られたやうにさつと靡(ナビ)くと、その下から濛々と夜目にも白い煙が渦を卷
いて、或は簾、或は袖、或は棟(ムネ)の金物が、一時に碎けて飛んだかと思ふ程、火の
粉が雨のやうに舞ひ上る--その凄じさと云つたらございません。いや、それよりも
めらめらと舌を吐いて袖格子(ソデガウシ)に搦(カラ)みながら、半空(ナカゾラ)までも立ち昇
る烈々とした炎の色は、まるで日輪が地に落ちて、天火が迸(ホトバシ)つたやうだとで
も申しませうか。前に危く叫ばうとした私(ワタクシ)も、今は全く魂を消して、唯茫然と
口を開(ヒラ)きながら、この恐ろしい光景を見守るより外はございませんでした。しか
し親の良秀(ヨシヒデ)は--
 良秀のその時の顏つきは、今でも私は忘れません。思はず知らず車の方へ驅け寄ら
うとしたあの男は、火が燃え上ると同時に、足を止めて、やはり手をさし伸した儘、
食ひ入るばかりの眼つきをして、車をつゝむ焔煙(エンエン)を吸ひつけられたやうに眺め
て居りましたが、滿身に浴びた火の光で、皺(シワ)だらけな醜い顏は、髭(ヒゲ)の先ま
でもよく見えます。が、その大きく見開いた眼の中と云ひ、引き歪(ユガ)めた脣のあ
たりと云ひ、或は又絶えず引き攣(ツ)つてゐる頬の肉の震へと云ひ、良秀の心に交々
(コモゴモ)往來する恐れと悲しみと驚きとは、歴々と顏に描(カ)かれました。首を刎(ハ)
ねられる前の盜人でも、乃至(ナイシ)は十王の廳へ引き出された、十逆(ジフギヤク)五惡(ゴ
アク)の罪人でも、あゝまで苦しさうな顏は致しますまい。これには流石(サスガ)にあの
強力(ガウリキ)の侍でさへ、思はず色を變へて、畏る畏る大殿樣の御顏を仰ぎました。
 が、大殿樣は緊(カタ)く脣を御噛みになりながら、時々氣味惡く御笑ひになつて、眼
も放さずぢつと車の方を御見つめになつていらつしやいます。さうしてその車の中に
は--あゝ、私はその時、その車にどんな娘の姿を眺めたか、それを詳しく申し上げ
る勇氣は、到底あらうとも思はれません。あの煙に咽(ムセ)んで仰向(アフム)けた顏の白
さ、焔を掃(ハラ)つてふり亂れた髮の長さ、それから又見る間に火と變つて行く、櫻の
唐衣(カラギヌ)の美しさ、--何と云ふ慘(ムゴ)たらしい景色でございましたらう。殊に
夜風が一下(ヒトオロ)しして、煙が向うへ靡いた時、赤い上に金粉を撒(マ)いたやうな、
焔の中から浮き上つて、猿轡(サルグツワ)を噛みながら、縛(イマシメ)の鎖も切れるばかり身
悶えをした有樣は、地獄の業苦(ゴフク)を目(マ)のあたりへ寫し出したかと疑はれて、
私始め強力(ガウリキ)の侍までおのづと身の毛がよだちました。
 するとその夜風が又一渡り、御庭の木々の梢にさつと通ふ--と誰でも、思ひまし
たらう。さう云ふ音が暗い空を、どことも知らず走つたと思ふと、忽ち何か黒いもの
が、地にもつかず宙にも飛ばず、鞠(マリ)のやうに躍りながら、御所の屋根から火の燃
えさかる車の中へ、一文字にとびました。さうして朱塗のやうな袖格子(ソデガウシ)が、
ばらばらと燒け落ちる中に、のけ反(ゾ)つた娘の肩を抱いて、帛(キヌ)を裂くやうな鋭
い聲を、何とも云へず苦しさうに、長く煙の外(ソト)へ飛ばせました。續いて又、二聲
三聲--私たちは我知らず、あつと同音に叫びました。壁代(カベシロ)のやうな焔を後
(ウシロ)にして、娘の肩に縋(スガ)つてゐるのは、堀川の御邸に繋(ツナ)いであつた、あの
良秀と諢名(アダナ)のある、猿だつたのでございますから。
snowdong
白银十字骑士
白银十字骑士
  • 社区居民
  • 忠实会员
6#
发布于:2010-10-23 16:46
地狱变(六)


        十九

 が、猿(サル)の姿が見えたのは、ほんの一瞬間でございました。金梨子地(キンナシヂ)の
やうな火の粉が一しきり、ぱつと空へ上(アガ)つたかと思ふ中に、猿は元より娘の姿
も、黒煙(クロケムリ)の底に隱されて、御庭のまん中には唯、一輛の火の車が凄じい音を
立てながら、燃え沸(タギ)つてゐるばかりでございます。いや、火の車と云ふよりも、
或は火の柱と云つた方が、あの星空を衝(ツ)いて煮え返る、恐ろしい火焔の有樣には
ふさはしいかも知れません。
 その火の柱を前にして、凝(コ)り固まつたやうに立つてゐる良秀(ヨシヒデ)は、--何
と云ふ不思議な事でございませう。あのさつきまで地獄の責苦に惱んでゐたやうな良
秀は、今は云ひやうのない輝きを、さながら恍惚(クワウコツ)とした法悦の輝きを、皺だ
らけな滿面に浮べながら、大殿樣の御前(ゴゼン)も忘れたのか、兩腕をしつかり胸に
組んで、佇(タタズ)んでゐるではございませんか。それがどうもあの男の眼の中には、
娘の悶え死ぬ有樣が映つてゐないやうなのでございます。唯美しい火焔の色と、その
中に苦しむ女人(ニヨニン)の姿とが、限りなく心を悦(ヨロコ)ばせる--さう云ふ景色(ケシキ)
に見えました。
 しかも不思議なのは、何もあの男が一人娘の斷末魔(ダンマツマ)を嬉しさうに眺めてゐ
た、そればかりではございません。その時の良秀には、何故(ナゼ)か人間とは思はれ
ない、夢に見る獅子王(シシワウ)の怒りに似た怪しげな嚴(オゴソカ)さがございました。で
ございますから不意の火の手に驚いて、啼き騷ぎながら飛びまはる數の知れない夜鳥
(ヨドリ)でさへ、氣のせゐか良秀の揉烏帽子(モミ'エボシ)のまはりへは、近づかなかつた
やうでございます。恐らくは無心の鳥の眼にも、あの男の頭(カシラ)の上に、圓光の如
く懸つてゐる、不思議な威嚴が見えたのでございませう。
 鳥でさへさうでございます。まして私(ワタクシ)たちは仕丁(ジチヤウ)までも、皆息をひ
そめながら、身の内も震へるばかり、異樣な隨喜(ズ'イキ)の心に充ち滿ちて、まるで
開眼(カイゲン)の佛(ブツ)でも見るやうに、眼も離さず、良秀を見つめました。空一面に
鳴り渡る車の火と、それに魂を奪はれて、立ちすくんでゐる良秀と--何と云ふ莊嚴
(シヤウゴン)、何と云ふ歡喜(クワンキ)でございませう。が、その中でたつた一人、御縁の上
の大殿樣だけは、まるで別人かと思はれる程、御顏の色も青ざめて、口元に泡を御た
めになりながら、紫の指貫(サシヌキ)の膝を兩手にしつかり御つかみになつて、丁度喉(ノ
ド)の渇いた獸(ケモノ)のやうに喘(アヘ)ぎつゞけていらつしやいました。……

        二十

 その夜(ヨ)雪解(ユキゲ)の御所(ゴシヨ)で、大殿樣が車を御燒きになつた事は、誰の口
からともなく世上へ洩(モ)れましたが、それに就いては隨分いろいろな批判を致すも
のも居つたやうでございます。先(マヅ)第一に何故(ナゼ)大殿樣が良秀(ヨシヒデ)の娘を
御燒き殺しなすつたか、--これは、かなはぬ戀の恨みからなすつたのだと云ふ噂が、
一番多うございました。が、大殿樣の思召しは、全く車を燒き人を殺してまでも、屏
風(ビヤウブ)の畫を描かうとする繪師根性の曲(ヨコシマ)なのを懲(コ)らす御心算(ユツモリ)だ
つたのに相違ございません。現に私は、大殿樣が御口づからさう仰有(オツシヤ)るのを伺
つた事さへございます。
 それからあの良秀が、目前で娘を燒き殺されながら、それでも屏風の畫を描(カ)き
たいと云ふその木石(ボクセキ)のやうな心もちが、やはり何かとあげつらはれたやうで
ございます。中にはあの男を罵(ノノシ)つて、畫の爲めに親子の情愛も忘れてしまふ、
人面(ニンメン)獸心(ジウシン)の曲者(クセモノ)だなどと申すものもございました。あの横川(ヨカ
ハ)の僧都樣(ソウヅサマ)などは、かう云ふ考へに味方をなすつた御一人で、「如何に一藝
一能に秀でようとも、人として五常を辨(ワキマ)へねば、地獄に墮ちる外はない」など
と仰有(オツシヤ)つたものでございます。
 所がその後(ゴ)一月ばかり經つて、愈(イヨイヨ)地獄變の屏風が出來上りますと、良秀
は早速それを御邸へ持つて出て、恭(ウヤウヤ)しく大殿樣の御覽に供へました。丁度その
時は僧都樣も御居合せになりましたが、屏風の畫を一目御覽になりますと、流石(サス
ガ)にあの一帖(イチデフ)の天地に吹き荒(スサ)んでゐる火の嵐の恐しさに御驚きなすつた
のでございませう。それまでは苦い顏をなさりながら、良秀の方をしろじろ睨(ニラ)め
つけていらしつたのが、思はず知らず膝を打つて、「出かし居つた」と仰有(オツシヤ)い
ました。この語(コトバ)を御聞になつて、大殿樣が苦笑なすつた時の御容子(ゴヨウス)も、
未だに私は忘れません。
 それ以來あの男を惡く云ふものは、少くとも御邸の中だけでは、殆ど一人もゐなく
なりました。誰でもあの屏風を見るものは、如何に日頃良秀を憎く思つてゐるにせよ、
不思議に嚴(オゴソ)かな心もちに打たれて、炎熱地獄の大苦艱(ダイクゲン)を如實に感じ
るからでもございませうか。
 しかしさうなつた時分には、良秀はもうこの世に無い人の數(カズ)にはひつて居り
ました。それも屏風の出來上つた次の夜(ヨ)に、自分の部屋の梁(ハリ)へ繩をかけて、
縊(クビ)れ死んだのでございます。一人娘を先立てたあの男は、恐らく安閑(アンカン)と
して生きながらへるのに堪へなかつたのでございませう。死骸は今でもあの男の家の
跡に埋(ウヅ)まつて居ります。尤も小さな標(シルシ)の石は、その後(ノチ)何十年かの雨風
(アメカゼ)に曝(サラ)されて、とうの昔誰の墓とも知れないやうに、苔蒸(コケム)してゐるに
ちがひございません。
                                                            (大正七年四月)
7#
发布于:2010-10-25 21:22
感谢楼主
8#
发布于:2014-12-02 22:41
用户被禁言,该主题自动屏蔽!
9#
发布于:2014-12-05 19:50
用户被禁言,该主题自动屏蔽!
10#
发布于:2020-12-05 22:17
为啥不整理成文件发...
游客

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