電車の教室
トットちゃんが、きのう、校長先生から教えていただいた、自分の教室である、電車のドアに手をかけたとき、まだ校庭には、誰の姿も見えなかった。今と違って、昔の電車は、外から開くように、ドアに取手がついていた。両手で、その取手を持って、右に引くと、ドアは、すぐ開いた。トットちゃんは、ドキドキしながら、そーっと、首を突っ込んで、中を見てみた。 「わあーい」 これなら、勉強しながら、いつも旅行をしてるみたいじゃない。網棚もあるし、窓も全部、そのままだし。違うところは、運転手さんの席のところに黒板があるのと、電車の長い腰掛を、はずして、生徒用の机と腰掛が進行方向に向いて並んでいるのと、つり革が無いところだけ。後は、天井も床も、全部、電車のままになっていた。トットちゃんは靴を脱いで中に入り、誰でも腰掛けていたいくらい、気持ちのいい椅子だった。トットちゃんは、うれしくて、(こんな気に入った学校は、絶対に、お休みなんかしないで、ずーっとくる)と,強く心に思った。 それからトットちゃんは、窓から外を見ていた。すると、動いていないはずの電車なのに、校庭の花や木が、少し風に揺れているせいか、電車が走っているような気持ちになった。 「ああ、嬉しいなあー」 トットちゃんは、とうとう声に出して、そういった。それから、顔をぺったりガラス窓にくっつけると、いつも、嬉しいとき、そうするように、デタラメ歌を、うたいはじめた。 とても うれし うれし とても どうしてかっていえば…… そこまで歌ったとき、誰かが乗り込んできた。女の子だった。その子は、ノートと筆箱をランドセルから出して机の上に置くと、背伸びをして、網棚にランドセルをのせた。それから草履袋も、のせた。トットちゃんは歌をやめて、急いで、まねをした。次に、男の子が乗ってきた。その子は、ドアのところから、バスケットボールのように、ランドセルを、網棚に投げ込んだ。網棚の、網は、大きく波うつと、ランドセルを、投げ出した。ランドセルは、床に落ちた。その男の子は、「失敗!」というと、またもや、同じところから、網棚めがけて、投げ込んだ。今度は、うまく、おさまった。『成功!』と、その子は叫ぶと、すぐ、「失敗!」といって、机によじ登ると、網棚のランドセルを開けて、筆箱やノートを出した。そういうのを出すのを忘れたから、失敗だったに違いなかった。 こうして、九人の生徒が、トットちゃんの電車に乗り込んできて、それが、トモエ学園の、一年生の全員だった。 そしてそれは、同じ電車で旅をする、仲間だった。 授業 お教室が本当の電車で、“かわってる”と思ったトットちゃんが、次に“かわってる”と思ったのは、教室で座る場所だった。前の学校は、誰かさんは、どの机、隣は誰、前は誰、と決まっていた。ところが、この学校は、どこでも、次の日の気分や都合で、毎日、好きなところに座っていいのだった。 そこでトットちゃんは、さんざん考え、そして見回したあげく、朝、トットちゃんの次に教室に入ってきた女の子の隣に座ることに決めた。なぜなら、この子が、長い耳をした兎の絵のついた、ジャンパー・スカートをはいていたからだった。 でも、なによりも“かわっていた”のは、この学校の、授業のやりかただった。 普通の学校は、一時間目が国語なら、国語をやって、二時間目が算数なら、算数、という風に、時間割の通りの順番なのだけど、この学校は、まるっきり違っていた。何しろ、一時間目が始まるときに、その日、一日やる時間割の、全部の科目の問題を、女の先生が、黒板にいっぱいに書いちゃって、 「さあ、どれでも好きなのから、始めてください」といったんだ。だから生徒は、国語であろうと、算数であろうと、自分の好きなのから始めていっこうに、かまわないのだった。だから、作文の好きな子が、作文を書いていると、後ろでは、物理の好きな子が、アルコール・ランプに火をつけて、フラスコをブクブクやったり、何かを爆発させてる、なんていう光景は、どの教室でもみれらることだった。この授業のやり方は、上級になるにしたがって、その子供の興味を持っているもの、興味の持ち方、物の考え方、そして、個性、といったものが、先生に、はっきり分かってくるから、先生にとって、生徒を知る上で、何よりの勉強法だった。また、生徒にとっても、好きな学科からやっていい、というのは、嬉しいことだったし、嫌いな学科にしても、学校が終わる時間までに、やればいいのだから、何とか、やりくり出来た。従って、自習の形式が多く、いよいよ、分からなくなってくると、先生のところに聞きに行くか、自分の席に先生に来ていただいて、納得の行くまで、教えてもらう。そして、例題をもらって、また自習に入る。これは本当の勉強だった。だから、先生の話や説明を、ボンヤリ聞く、といった事は、無いにひとしかった。トットちゃん達、一年生は、まだ自習をするほどの勉強を始めていなかったけど、それでも、自分の好きな科目から勉強する、ということには、かわりなかった。カタカナを書く子、絵を描く子。本を読んでる子。中には、体操をしている子もいた。トットちゃんの隣の女の子は、もう、ひらがなが書けるらしく、ノートに写していた。トットちゃんは、何もかもが珍しくて、ワクワクしちゃって、みんなみたいに、すぐ勉強、というわけにはいかなかった。そんな時、トットちゃんの後ろの机の男の子が立ち上がって、黒板のほうに歩き出した。ノートを持って。黒板の横の机で、他の子に何かを教えている先生のところに行くらしかった。その子の歩くのを、後ろから見たトットちゃんは、それまでキョロキョロしてた動作をピタリと止めて、頬杖をつき、ジーっと、その子を見つめた。その子は、歩くとき、足を引きずっていた。とっても、歩くとき、体が揺れた。始めは、わざとしているのか、と思ったくらいだった。でも、やっぱり、わざとじゃなくて、そういう風になっちゃうんだ、と、しばらく見ていたトットちゃんに分かった。その子が、自分の机に戻ってくるのを、トットちゃんは、さっきの、頬杖のまま、見た。目と目が合った。その男の子は、トットちゃんを見ると、ニコリと笑った。トットちゃんも、あわてて、ニコリとした。その子が、後ろの席に座ると、――座るのも、他の子より、時間がかかったんだけど――トットちゃんは、クルリと振り向いて、その子に聞いた。「どうして、そんな風に歩くの?」その子は、優しい声で静かに答えた。とても利口そうな声だった。「僕、小児麻痺なんだ」「しょうにまひ?」トットちゃんは、それまで、そういう言葉を聴いたことが無かったから、聞き返した。その子は、少し小さい声でいった。「そう、小児麻痺。足だけじゃないよ。手だって……」そういうと、その子は、長い指と指が、くっついて、曲がったみたいになった手を出した。トットちゃんは、その左手を見ながら、「直らないの?」と心配になって聞いた。その子は、黙っていた。トットちゃんは、悪いことを聞いたのかと悲しくなった。すると、その子は、明るい声で言った。「僕の名前は、やまもとやすあき。君は?」トットちゃんは、その子が元気な声を出したので、嬉しくなって、大きな声で言った。「トットちゃんよ」こうして、山本泰明ちゃんと、トットちゃんのお友達づきあいが始まった。電車の中は、暖かい日差しで、暑いくらいだった。誰かが、窓を開けた。新しい春の風が、電車の中を通り抜け、子供たちの髪の毛が歌っているように、とびはねた。トットちゃんの、トモエでの第一目は、こんな風に始まったのだった。 海のものと山のもの さて、トットちゃんが待ちに待った『海のものと山のもの』のお弁当の時間が来た。この『海のものと山のもの』って、何か、といえば、それは、校長先生が考えた、お弁当のおかずのことだった。普通なら、お弁当のおかずについて、「子供が好き嫌いをしないように、工夫してください」とか、「栄養が、片寄らないようにお願いします」とか、言うところだけど、校長先生はひとこと、 「海のものと山のものを持たせてください」と、子供たちの家の人に、頼んだ、というわけだった。 山は……例えば、お野菜とか、お肉とか(お肉は山で取れるってわけじゃないけど、大きく分けると、牛とか豚とかニワトリとかは、陸に住んでいるのだから、山のほうに入るって考え)、海は、お魚とか、佃煮とか。この二種類を、必ずお弁当のおかずに入れてほしい、というのだった。(こんなに簡単に、必要なことを表現できる大人は、校長先生のほかには、そういない)とトットちゃんのママは、ひどく感心していた。しかも、ママにとっても、海と山とに、分けてもらっただけで、おかずを考えるのが、とても面倒なことじゃなく思えてきたから、不思議だった。それに校長先生は、海と山といっても、“無理しないこと”“贅沢しないこと”といってくださったから、山は“キンピラゴボウと玉子焼”で海は“おかか”という風でよかったし、もっと簡単な海と山を例にすれば、“お海苔と梅干”でよかったのだ。 そして子供たちは、トットちゃんが始めてみたときに、とっても、うらやましく思ったように、お弁当の時間に、校長先生が、自分たちのお弁当箱の中をのぞいて、「海のものと、山のものは、あるかい?」と、ひとりずつ確かめてくださるのが、嬉しかったし、それから、自分たちも、どれが海で、どれが山かを発見するのも、ものすごいスリルだった。でも、たまには、母親が忙しかったり、あれこれ手が回らなくて、山だけだったり、海だけという子もいた。そういう時は、どうなるのか、といえば、その子は心配しないでいいのだった。なぜなら、お弁当の中をのぞいて歩く校長先生の後ろから、白い、割烹前掛けをかけた、校長先生の奥さんが、両手に、おなべをひとつずつ持って、ついて歩いていた。そして先生がどっちか足りないこの前で、「海!」というと、奥さんは、海のおなべから、ちくわの煮たのを、二個くらい、お弁当箱のふたに、乗せてくださったし、先生が、「山!」といえば、もう片方の、山のおなべから、おいもの煮ころがしが、飛び出す、という風だったから。こんなわけだったので、どの子供たちも「ちくわが嫌い」なんて、そんなことは、言わなかったし、(誰のおかずが上等で、誰のおかずが、いつも、みっともない)なんて思わなくて、海と山とが揃った、ということが、嬉しくて、お互いに笑いあったり、叫んだりするのだった。トットちゃんにも、やっと『海のものと山のもの』が、なんだか分かった。阻止寺、(ママが、今朝、大急行で作ってくれたお弁当は、大丈夫かな?)と少し心配になった。でも、ふたを取ったとき、トットちゃんが、「わあーい」といいそうになって、口お押さえたくらい、それは、それは、ステキなお弁当だった。黄色のいり卵、グリンピース、茶色のデンブ、ピンク色の、タラコをパラパラに炒ったの、そんな、いろんな色が、お花畑みたいな模様になっていたのだもの。校長先生は、トットちゃんのを、のぞきこむと、「きれいだね」といった。トットちゃんは、嬉しくなって、「ママは、とっても、おかず上手なの」といった。校長先生は、「そうかい」といってから、茶色のデンブをさして、トットちゃんに、「これは、海かい?山かい?」と聞いた、トットちゃんは、デンブを、ジーっと見て、「これは、どっちだろう」と考えた。(色からすると、山みたいだけど、だって、土みたいな色だからさ。でも……わかんない)そう思ったので、「わかりません」と答えた。すると、校長先生は、大きな声で、「デンブは、海と山と、どっちだい?」と、みんなに聞いた。ちょっと考える間があって、みんな一斉に、「山!」とか、『海!』とか叫んで、どっちとも決まらなかった。みんなが叫び終わると、校長先生は、いった。「いいかい、デンブは、海だよ」「なんで」と、肥った男の子が聞いた。校長先生は、机の輪の真ん中に立つと、「デンブは、魚の身をほぐして、細かくして、炒って作ったものだからさ」と説明した。「ふーん」と、みんなは、感心した声を出した。そのとき誰かが、「先生、トットちゃんのデンブ、見てもいい?」と聞いた。校長先生が、「いいよ」というと、学校中の子が、ゾロゾロ立ってきて、トットちゃんのデンブを見た。デンブは知ってて、食べたことはあっても、今の話で、急に興味が出てきた子も、また、自分の家のデンブと、トットちゃんのと、少し、かわっているのかな?と思って、見たい子もいるに違いなかった。デンブを見にきた子の中には、においをかぐ子もいたので、トットちゃんは、鼻息で、デンブが飛ばないか、と心配になったくらいだった。でも、初めてのお弁当の時間は、少しドキドキはしたけど、楽しくて、『海のものと山のもの』を考えるのも面白いし、デンブがお魚って分かったし、ママは、『海のものと山のもの』を、ちゃんと入れてくれたし、トットちゃんは、(ぜんぶ、よかったな)と、嬉しくなった。そして、次に、嬉しいのは、ママの弁当は、食べると、おいしいことだった。 よく噛めよ で、普通なら、これで、「いただきまーす」になるんだけど、このトモエ学園は、ここで、合唱が入るのが、また、変わっていた。校長先生は、音楽家でもあったから、『お弁当を食べる前に歌う歌』というのを作った。ただし、これは、作曲が、イギリス人で、歌詞だけが、校長先生だった。というより、本当は、もともとあった曲に、先生が替え歌をつけた、というのが、正しいのだけれど。もともとの曲は、あの有名な、『船をこげよ(Row Boat)』 ロー ロー ロー ユアー ボート ジェントリー ダウン ザ ストゥリーム メリリー メリリー メリリー メリリー ライス イズ バット ア ドリームで、これに校長先生がつけた歌詞は、次のようだった。 よーく 噛めよ たべものを 噛めよ 噛めよ 噛めよ 噛めよ たべものを そして、これを歌い終わると、初めて、「いただきまーす」になるのだった。 “ロー ロー ロー ユアー ボート”のメロディーに、“よく、噛めよ”は、ぴったりとあった。だから、この学校の卒業生は、ずいぶんと大きくなるまで、このメロディーは、お弁当の前の歌う歌だ、と信じていたくらいだった。校長先生は、自分の歯が抜けていたので、この歌を作ったのかもしれないけど、本当は、「よく噛めよ」というより、お食事は、時間をかけて、楽しく、いろんなお話しをしながら、ゆっくり食べるものだ、と、いつも生徒に話していたから、そのことを忘れないように、この歌を作ったのかもしれなかった。さて、みんなは、大きな声で、この歌を歌うと、「いただきまーす」といって、『海のものと山のもの』に、とりかかった。トットちゃんも、もちろん、同じようにした。 講堂は一瞬だけ、静かになった。 |
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板凳#
发布于:2014-12-06 09:14
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