公園の梅の木の下に、青い実が落ちている。先刻の小糠(こぬか)雨で実の皮にできた滴が、5月の東京の空を映す。やがて雲間から日が差し、木々の若葉が光り始めた。
「若草の上をあるいてゐるとき、/わたしの靴は白い足あとをのこしてゆく……ああすつぱりといつさいの憂愁をなげだして」。萩原朔太郎は、この季節を愛した。「若くさの上をあるいてゐるとき、/わたしは五月の貴公子である」(「月に吠える」)。 20代の頃に妹に送った手紙には、新緑は、夏の盛りのどす黒いような不快な青とは違うと書いた。「見るからに晴々した透き通る様な青です」。朔太郎は、昭和17年、1942年の5月11日に55歳で他界した。 詩誌「四季」の追悼号には、高村光太郎や斎藤茂吉、室生犀星らの文が並んでいる。中に、「師よ 萩原朔太郎」と題する三好達治の詩があって、毎年この時期になると読み返す。 詩人としては認められていたが、世間の常識とは大きな隔たりを痛感しつつ生きた朔太郎に、まず「幽愁の鬱塊」と呼びかける。「あなたのあの懐かしい人格は/なま温かい熔岩(ラヴア)のやうな/不思議な音楽そのままの不朽の凝晶体」だったとうたう。 「夢遊病者(ソムナンビユール)/零(ゼロ)の零(ゼロ)」と書き、「あなたばかりが人生を ただそのままにまつ直ぐに 混ぜものなしに 歌ひ上げる」と記した。確かに朔太郎の詩句は、詩の源泉からわき出る、混じりけのない流れだったかも知れない。逝って64年。自らを貴公子と呼んだこの季節には、若草の上をゆく姿が、薫風の中によみがえるような気がする。 朝日新闻社 |
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板凳#
发布于:2014-12-05 19:51
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