読書メモ:「長崎ぶらぶら節」(なかにし礼) (2) 第二章 あらすじ: 明治十六年七月十七日、十歳のサダが松助という判人の手によって、長崎丸山の芸者置屋島田家に届けられ、芸者見習いの生活が始まった。 四年ぶりに姉のマス(すでに増吉という名で舞子になっている)との再会の喜びはほんの一時のものだった。増吉は気がきついで、幼い頃からサダとの仲が良くなかった。まして、自分は美人で妹のサダはあまりの不細工なので、姉妹似合わないと言われるのが嫌で、サダがいじめいられた時など、ちっとも庇ってくれなかった。 芸者見習いの生活は無論惨めなことで、芸の稽古のほかに、花売りや辻占売りをもやらされて、何と、売上金の計算が合わなかったら、すぐ道端に立たされて、売り物にされるというひどい仕置を受けざるを得ない。 十二歳で、サダは舞子になり、名前を愛八と改められた。 その年、二つ下の妹スエも芸者志向で丸山に送られ、岩永という別の置屋に入った。スエも美人で、すぐ人に好かれて、まるで愛八に面倒を見てくれる必要もないのよう だ。二年立って、スエも舞子になり、小菊と名乗った。 姉の増吉と妹の小菊のような美貌を持っていない愛八は芸を磨くに励むほか道がないようだ。 増吉は十八歳で芸者になり、二十一歳の時、三菱造船所の上級社員に見初められ、落籍されて、その人の正式の妻となった。 明治二十三年の秋、愛八もついに念願の丸山の芸者になった。一年たって、十八歳の愛八は旦那持ち(パトロンが出来た)になったが、両親と置屋との約束により、あと二年、お礼奉公をしなければならなかった。 二年後、妹の小菊も十八歳で、芸者になって、間もなく、岡安呉服店の主人の妾におさまった。 二十歳を過ぎて、愛八が急に売れ出した。つまり優れた芸で美人ばかりの芸者たちから頭角を現して、出世した。従来の唄、踊り、三味線のほかに、愛八は独創的な「横綱の土俵入り」という余興をも作り出した。それは親譲りの「相撲好き」といってもいいだろう。 そういう風に客に愛され、自分も十分楽しんでいるうちに年月が流れ、とうとう「愛八は五十歳目前となっていた」――この辺の叙述はあまりに突飛で、次の章からどんな展開に成るかと、要らない心配をさせられた。 まあ、取り敢えず、一息ついて、楽しみにしましょう。 豆知識: 芸者と遊女、一方は芸を売り、一方は色を売る。仕事場として、一方はお茶屋で、一方は貸座敷である。丸山の芸者は常に白足袋を履いているが、遊女は例え花魁であっても足袋を履くことは許されず、年中素足で通す。 2016-06-22 |
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