読書メモ:「長崎ぶらぶら節」(なかにし礼) (九)
あらすじ: 古賀十二郎と愛八さんは毎週日曜日に会い、昼間は歌を探して歩き、日が暮れると、富美江の言葉に甘えて、花月の座敷を拝借して採集した歌の整理確認をした。充実した暮らしをしていると時間の立つのが早くなるようで、二年半の歳月は知らず知らずの内に流れてしまった。 採集した歌は座敷歌、童歌、船頭歌、お国自慢の民謡、ロシア人や唐人を歌った俚謡と様様あり、この歌の種類を見ているだけで、長崎の文化の多様性に驚くだろう。 そして、古賀十二郎は「大体終わりかな」と言い出した。 でも、古賀十二郎と歌両方に惹かれた愛八さんはなかなか承知しない。いろいろ考えて、とうとうキリシタンの歌を思い出した。キリシタンの歌が欠如ならば、愛八さんの言葉を借りて言えば「これでは仏作って魂入れずですたい」。 確かにそうである。 日本のキリシタン(切支丹)と言えば、熊本の天草が一番有名だが、長崎市の近くにも隠れキリシタン(切支丹)が住んでいた村があちこちにある。人の目を盗んでキリスト教の信仰を貫いてきた隠れ切支丹の間に歌がないはずがない。 ある日、古賀十二郎と愛八さんと古賀さんの弟子雅夫さんの三人連れで、離島にある善頂村に行った。 そこで最初の誤解による排斥を乗り越えて、結局、望んだ通りキリシタン(切支丹)特有の歌を数多く採集した。 豆知識:明治六年二月、全国キリスト教禁制を撤廃した。 2016-7-5 |
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