読書メモ:「長崎ぶらぶら節」(なかにし礼) (十)
あらすじ: キリシタンの歌を採集したことで、なにか区切りがついた気分になったのか、それとも仕事が忙しいのか、あれ以来、愛八さんは古賀十二郎から何も連絡をもらっていなかった。 歌さがしはもうおしまいなのだろうかーー愛八さんがそう思うのも無理ではなかろう。 愛八さんの気になることそれだけではない、もう一つは、お雪の様子が変で、病気ではないかという噂も立った。 でも、お雪の話はこれでぽつりと少し出たばかりで、まだ本格的に展開させる気がないようである。 ある日、愛八さんは湯帰りに薄化粧しようとしている時、古賀十二郎がいつものように突然現れてきた。長崎ぶらぶら節(来た!)の情報が入って、それを歌うことの出来る芸者はもう九十一歳だから、早速尋ねに行かないと間に合わないと言ってきた。 それで、土曜日の朝、三味線を携えている愛八さんと古賀十二郎との二人連れで、汽車に乗って諌早という長崎より大分離れた所に飛んで行った。 諌早の橘湾に面した伊勢屋という古い旅館で、小浜芸者の八重菊という高齢の芸者と対面し、何曲も長崎ぶらぶら節を聞かされ、記録した。 長崎ぶらぶら節という歌の内容は極めて豊富で、長崎に絡んだ名物、風俗、重大な歴史事件などをも歌っている。民俗学上、滅多にない生きた資料とも言えよう。 一泊二日の旅行なので、愛八さんと古賀十二郎との二人きりの夜はどのようにすればよいのだろう。 予てから古賀十二郎に惚れ込んできた愛八さんの心境が複雑で、二人ともいい年になっているから、肉体関係をあまり望んでいない一方、女として、無視されるのも惨めな目に遭うのと同然だろうか。 そんな所に気づき、古賀十二郎は「体ば(を)合わせたら、おいたちの心がすたるたい」と歯切れよく言い放った。 無論、それは賢明だ。 作者としても、余計な枝葉を伸ばさずにすむから良い書き方だろう。 しかし、二人別々の布団に入って一晩を過ごすのもあまり寂しくて、小説として物足りないだろうか、作者は古賀十二郎を「母子んごと、兄妹のごと」のように愛八さんに添い寝させた。 ところが、古賀十二郎は歌さがしはこれで休止符を打って、愛八さんとも「なまじ合わんほうがよか」と言い出した。となると、これからの展開はどうなるだろう。 名文抜粋: 一つの歌は氷山の一角のようなものだ。氷山は海の上に姿を見せている部分の何十倍にもあたる大きな物語を水面下に隠しているということを目のあたりに知らされた。 そして歌というものの不思議な力。道端に転がっているような何でもない言葉が、拾い上げられ、順序よく並べられ、節というものをつけられると、途端に豊かな彩りを持ち始める。そしてそれが人の声によって歌われると霊気が立ち上る。(P209) 豆知識:着物の仕付糸は好きな人に取ってもらわないといけない。仕付糸の球を袂に入れると願いが叶う。 |
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