広島でも長崎でも、原爆は地面すれすれで炸裂(さくれつ)したのではない。広島は約600メートル、長崎では約500メートルの高さで爆発した。かつて爆心地でその辺りを仰ぎ見た時、熱線や放射線をより広い範囲に浴びせるための悪魔的な計算なのかと思った。その瞬間の爆心地周辺を想像する度に、背筋が凍り付く思いがする。
国が、被爆した人を原爆症と認定する時、これまで爆心地からの「距離の壁」があったという。被爆してがんなどを患う被爆者9人が「原爆症と認められないのは不当だ」とした訴訟で、大阪地裁が「壁」を破る判決を出した。「国は審査基準を機械的に適用すべきではなかった」と指摘、爆心地から3キロ以上の距離で被爆した原告を含む全員の不認定処分を取り消した。 被爆国 日本には、人類初の核兵器がもたらした惨禍の実相を把握し、伝える役目がある。その積み重ねが、惨禍を世界に知らせることになる。 核兵器の廃絶を目指す運動に尽力した湯川スミさんが亡くなった。日本人初のノーベル賞を受賞した湯川秀樹氏の妻で、世界連邦世界協会の名誉会長だった。 戦後、スミさんは夫と米国に渡った。同じ研究所に居たアインシュタインが、原爆開発の一端となったことを深く後悔し、秀樹氏に言ったという。「戦争が起こらない仕組みをつくらないといけない。そのためには世界を連邦にするしか道はない」 共感し、自らも核廃絶を希求した秀樹氏は、がんを患ってからも言い続けた。「君が運動の先頭に立て」。この言葉を胸に抱き続け、96歳で夫の元に旅立った。 朝日新闻社 |
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发布于:2014-12-05 19:52
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