翻译质检书:“林译经典”之《心》(61)
181.林译:母亲终究是母亲,总惦记先生的来信。(P83) 原文:母はまた母で先生の返事の来るのを苦にしていた。 说明:原文中“母はまた母で”用的是一个常用句型,即【Xは(また)Xで】。该句型通过同一名词的重复,“用于一面同其它事物做对比,一面就X进行阐述(《日本语句型辞典》外语教学和研究出版社)”,只不过“做对比”的对象不在该句中,而是上文里的“兄”。林译没有将这种“对比”的意思翻译出来。 此处的上下文是这样的: 「お前これからどうする」と兄は聞いた。私はまた全く見当の違った質問を兄に掛けた。 「一体家(うち)の財産はどうなってるんだろう」 「おれは知らない。お父さんはまだ何ともいわないから。しかし財産っていったところで金としては高(たか)の知れたものだろう」 母はまた母で先生の返事の来るのを苦にしていた。 「まだ手紙は来ないかい」と私を責めた。 (本条计入误译) 问题类型:原文理解或中文表达错误。 对照: 周大勇译本:母亲又有母亲的想法。她等先生的回信等得好苦。 华南虎译:而母亲又有母亲的心事。她期盼着先生的来信,已经望穿了秋水。 182.林译:这样对于清醒时总感到寂寞的病人也是个安慰。(P86) 原文:気のたしかな時は頻(しき)りに淋(さび)しがる病人にもそれが希望ら しく見えた。 说明:原文里没有“安慰”之类的意思。(本条计入误译) 问题类型:擅改原意。 对照: 周大勇译本:病人在神志清楚的时候,感到非常寂寞,这样做好像也是病人所希望的。 华南虎译:病人在神志清楚时常感到无比孤寂,似乎也希望我们这么 做。 183.林译:我和哥哥以前不知听多少遍了,但此时听起来心情完全不同,觉得母亲的话仿佛是对父亲的怀念。(P86) 原文:今まで何遍(なんべん)もそれを聞かされた私と兄は、いつもとは まるで違った気分で、母の言葉を父の記念(かたみ)のように耳へ 受け入れた。 说明:从句子结构上可以看出,“母の言葉を父の記念(かたみ)のように耳へ受け入れた。”是“将【母の言葉】当作【父の記念(かたみ)】似地【受け入れた】到【耳】”并不是说“【母の言葉】仿佛是对【父の記念(かたみ)】”。再说,此处的“記念(かたみ)”是“带有遗物性质的纪念品”的意思,跟“怀念”是两回事。(本条计入误译) 问题类型:原文理解或中文表达错误。 对照: 周大勇译本:我和哥哥以前已经听过不知多少遍,这时又用和往常完全不同的心情,把母亲的话当作对父亲的纪念品似地接纳到耳朵里。 华南虎译:母亲说的这事儿我和哥哥以前也听过好多遍了,可眼下心 境不同,仿佛是当作父亲的遗物听在耳朵里的。 小结: 当前误译数小计:213 当前误译指数(误译数÷最后页数×100)=257(平均每页有2.57个误译) (扣除译序页数与标题页,最后页数按照Page数-3计算) 当前问题小计: 胡说八道:18 原文理解或中文表达错误:109 缺少注释:2 领悟力太差:11 漏译:13 不肯查词典:11 偷工减料:1 擅改原意:10 以偏概全:2 照搬日文汉字:7 歧义:2 奇葩中文:16 常识性错误:2 词不达意:1 夹带私货:1 望文生义:3 张冠李戴:2 华南虎质检于姑苏城内 2017-1-13 【读书使人进步】http://shop.kongfz.com/22127/ 预告:夏目漱石《心》之华南虎译本将于年内上市,敬请期待。 |
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